新潟小2女児殺人事件から考える 事件を未然に防ぐには?

事件を未然に防ぐ方法はないのか?

新潟市の小2の女の子が殺害された事件。

1週間後の今日、容疑者が逮捕されました。

1週間という時間が早かったのか遅かったのか。

そんなことはどうでも良くて、どうにかして事件が起こる前に食い止められなかったか、と思うと悔しくてなりません。

最近こんな悲しい事件が後を絶ちません。

今までこういう事件がなかったわけではありませんが、昔なら防げたこともあったと思います。

今回は今と昔の違いについて、私なりに考えてみました。

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近所のおじさんに助けられた小学校時代

今回の事件とは関係ないですが、もう30年以上昔、私が小学生の頃、奇跡とも思えるようなことがありました。

幼なじみと一緒に小学校から帰っていると、自宅まであと少しのところで見知らぬおじさんに声を掛けられました。

念のためですが、声を掛けられたのは通りすがりのおじさんではなく、通学路の途中にある家に住んでいるおじさんです。

「一緒に花火やるか?」

まだ夕方前の明るい時間帯で、突然声を掛けられたので私も友達もびっくりして立ち止まり、おどおどしながらも少し会話をし丁寧に(?)お断りすると、家に向かって歩き始めました。

その時高いブレーキ音が聞こえ、直後に何か車にぶつかった音が聞こえました。

走っていくとお婆さんが交差点で車に撥ねられて倒れていました。

私も友達も青ざめました。

もし、あの時おじさんが話しかけてくれなかったら、私達が撥ねられていたかもしれません。

撥ねられなくてもお婆さんが撥ねられた瞬間を見て、大きなショックを受けていたでしょう。

あの時声を掛けてもらえてラッキーだった、という話ではありません。

あの頃は、近所の人がいつでも子供たちを気にかけてくれていたな、ということを思い出したのです。

まだ舗装されていない田んぼ道を学校まで通っていた頃、畑仕事をしているおじさんがよく声を掛けてくれ、時には野菜や果物をくれたものです。

畑をやっている家の子の親御さんが、学校に果物をたくさん持って来てくれて、給食の時間じゃないのに食べていたりしました。

今はその田んぼ道も全部舗装されて、住宅地となってしまいました。

今は道で知らない人に話しかけられると、すぐに変な人に声を掛けられた、と問題になる時代です。

ちょっと注意でもしようものなら、逆ギレされて酷い時には殺されてしまう時代です。

先日もテレビで昔は地域ぐるみで子育てをしていたが、核家族化が進んだことで近所に相談できる相手もいないお母さんが育児ノイローゼになっている現状を放送していました。

そういう時代が、大切な子供たちを守ることのできない社会を生み出しているのではないか、と今痛切に感じています。

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近所に住んでいる人でも信用できない世の中

今回の事件も、被害者の近所に住む男性が容疑者として逮捕されています。

こういう時、たいてい近所の人に容疑者についてのインタビューがされますが、「そんなことをするような人に見えなかった」というようなコメントが圧倒的に多いと感じます(今回の事件についてはまだわかりませんが)。

そのコメントをした人達は、一体どのくらいその容疑者と親しかったのでしょうか?

親族や親しい人がインタビューに答えていることもありますが、大体の場合挨拶すら交わさない人達なのではないでしょうか。

もし近所の人達と本当に親しい人間であれば、恐ろしい事件なんて起こせないと思うのです。

稀にそういう人物が事件を起こすこともあるので一概に言い切れませんが、その場合はもう人格的・精神的に問題がある人なのだと思います。

この話を書くきっかけになったのは、今日の娘の話でした。

娘が近所のスーパーから買い物をして帰ってくる途中、目の前を歩いている女の子が、娘を警戒して何度も後ろを振り返って見ていたと言うのです。

娘も花粉や風邪の時期を過ぎていたのにマスクをしていたため怪しい人に見られたのかもしれませんが、高校生の女の子であっても警戒されてしまうようです。

娘はスマホを確認するふりをして女の子が見えなくなるまで止まって待っていたようですが、もしかしたらせめてその子と離れる場所に来るまでは見送ってあげた方が良かったかもしれません。

でも、今はそんな小さなこともできないような世の中になってしまっています。

どしゃ降りの中ずぶ濡れになっている子を見ると車に乗せてあげたいな、と思う反面、誘拐犯に間違われるかも、と思うと声も掛けられない自分がいます。

後になって傘くらい貸してあげればよかったと後悔しますが、それもなかなかハードルが高いことです。

そういう「見て見ないふり」の積み重ねが、救える命を救えない世の中にしてしまっているように思えてなりません。

ほんの少しの勇気

今回の事件も含め、人が亡くなる悲しい事件に心を痛めている人は結構多い、と思うと同時に、まだまだ人間捨てたものじゃない、と思っています。

犯罪を犯す人だって、最初から悪人だったわけではないと私は信じたい。

仮に被害者も加害者も生み出すのは「人」であるなら、「人」でしかそれを防ぐことはできないのではないか、と思うのです。

私1人でできることなんてほんのちっぽけなことでしかないけれど、もしそのちっぽけなことを大勢の人がやったら、それはとてつもなく大きなことになると思うのです。

じゃあ一体何ができるのか。

今の私に思いつくことは、会った人みんなに挨拶をすることくらいです。

忙しかったり恥ずかしかったりで近所の人にも挨拶ができない時がある私でも、ほんの少し勇気を出して挨拶ができれば、自分の周りの人達だけでもちょっとくらい助けられる部分があるかもしれません。

そんなことくらいじゃ何も変わらないよ、と思ってしまう自分もいますが、何もしないよりはまだマシだし、大人としてこれからのことを考えなくてはいけない、という思いもあります。

もう少し地域のイベントなどに積極的に出てみるのもいいかもしれません。

そして、いつかその中で同じ思いの人を見つけられたら、また少しできることが見つけられるかもしれない。

小さな積み重ね、少しずつ始めたいと思います。

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