教員過労死原因の残業時間に文科省「自発的なもの」発言に絶望

富山の公立中学校の教員が2016年夏にくも膜下出血で亡くなり、7月中旬過労死認定を受けました。

教員の発症直前の2ヵ月間の残業時間は各120時間前後で、そのような労働を余儀なくされる教員に対し、文科省は「自発的に残業している」と発言したことを、先日のYAHOO!の記事で知りました。

自発的と捉えられると、残業代は当然もらうことはできませんし、日々の職務に追われその苦しみを理解されないということに激しい憤りを覚えます。

中学校教員と言えば、私が中学生の頃、名前をちゃん付けで呼んでいた大好きだった国語の先生が、数年前にうつ病で退職されたことを思い出します。

同性の先生はどこか近寄りがたい雰囲気を持っていたものでしたが、その先生は本当に気さくで明るくて、休み時間になると先生と話がしたくてよく友達と一緒に職員室へ行っていたものです。

当時小説のようなものを書いていた私達が卒業する時に、先生は1冊ずつ本をプレゼントしてくれました。
友達がもらった本は覚えていませんが、私がもらったのは夏目漱石の坊ちゃんでした。

その時の先生の意図はなんだったのか今でもわかりませんが、人の気持ちは複雑なのだと、教えようとしてくれたのかもしれません。

先生は現在事務職で働いていると聞きましたが、当時の先生を思い出す限り、とてもうつ病になるなんて想像もできない人だったので、今考えると過酷な労働状態だったのではないか、と思えてなりません。

親となった私は先生という職業がいかに激務かということがやっとわかるようになりましたが、今回は文科省の発言から思うことを書きたいと思います。

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文科省の発言はブラック企業の鏡

ワークライフバランスを叫ばれている現代において、好きで残業している人が一体どれほどいるというのでしょうか。

確かに私はシングルマザーで子供をなんとしても進学させるという目標のためだけに、喜んで残業していたところがありました。

実際は進学のための貯蓄に回すお金はなく、学費や保険料、生活費で終わってしまう給料で、悲しくなるばかりでした。

私のように残業代がないと生活できない人もきっといると思います。
でももし普通の給料で十分生活できるのであれば、誰も残業なんて望んでいないはずなのです。

先生方が置かれている状況も、ブラック企業と同じ、いやそれ以上だと思えてなりません。

仕事が間に合わないから仕方なく自発的に働く労働者

深刻な人材不足、とよく言われていますが、私の勤めるシステム開発をしているような会社は、今や人材の争奪戦となっています。

私の会社もどこかから引き抜いてきたら、報奨金のようなものが出るという噂があるほどです(いや、その内大々的に発表されると思います)。

そんな状態なのですから、当然仕事は山のように溢れかえっているので、残業は当たり前になっています。
むしろ定時を過ぎるとやっと自分の仕事に集中できる、と言っているくらいです。

そんな残業が慢性化している状態は、学校の教員もブラック企業も全く同じです。

周りもやっているから当たり前。忙しくしている人達を置いて先に帰ることへの罪悪感。かといって手伝おうとすれば今度は自分の首を絞めてしまう。

どんなに頑張って働いて山積みの仕事を片付けても、すぐにまた新しい山が来る。
それを繰り返していくうちに、人は心か体を病んでしまうのです。

その状況を目の当たりにしても、まだ「自発的に残業している」と言えるんですか?

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上司は数字合わせに必死 部下は道具状態

更に不幸なのは、上司に恵まれないことです。

上司は上から毎日のように売上がどのくらい足りないだの、利益はどのくらい出る仕事なのかと再三にわたり言い続けられています。

上司は人材が足りないとわかっていても、十分な利益が見込めない限り人を補充しようとしません。

先程の人材不足の発言に矛盾が生じるので補足しますが、会社が欲しいのはSE(システムエンジニア)であって、毎日のルーティン業務を行う(私のような)人材はできる限り削りたいのです。

そして案件がないうちの部署は人を増やす気などさらさらありません。

たぶんこれは笑い話なのでしょうが、「時間が足りない?土日があるじゃないか」と言われたとか言われないとか。最低です。

人を雇うより残業をさせる方が人件費は安いです。社会保険だの福利厚生だの入れればどのくらい払ってると思ってるんだ、と私も上司から言われました。

要は全て数字でしか見ていないのです。

急ぐほどではないけれど、入院して手術をしなくてはいけないので人を入れてほしい、と言っている私に対し、今は会社に言えないと言われました。

新しい業務を担当して始動したばかりで私が抜けるのは難しいことはわかっていましたが、せめてもう少し待ってくれなどの言い方はなかったのか。今思い出しても腹が立ちます。

後日の会議で新しい案件がなく売上の達成が見込めないため、利益だけは確保していたいという方針だということがわかりました。

こうして社員がどんな状況下で働いているかなど考えることのない(できない)上司が山のようにいて、仕事が好きな私でも、どんどん働く意欲を失ってきています。

人事担当の人達は、働き方改革を大々的に掲げて会社をより良くしようとはしているようですが、現場の実態はこんなものです。

そして、国家公務員である教員は、そのトップである文科省に「自発的に残業している」と言われ、どれほど悲嘆し絶望したか。

教職とは高い志があってこそ成し遂げられる職業だと私は思っているので、その上が教員を道具のように思う現状に絶望を通り越した気持ちになります。

どうして「人間」として1人1人を見てくれる人が上にいないのか。数字だけしか見ない上司ならいない方がいい。それだけの仕事ならAIにやってもらえばいい、と私は思います。

最後に

日本人は昔から真面目で仕事熱心で、会社のために身を粉にして働くのを美学だと思っている節があります。

でも、もうそんな時代ではありません。

心身ともに健康で、プライベートも充実してこそ人として生きている意味がある、そう考える時代なのです。

文科省は先生を補佐する人材をどんどん育てて採用し、私達の未来を背負う子供たちが自分の個性を生かして世界に羽ばたける手助けをするべきなのです。

人が何人亡くなっても、何の手も打たずに金の椅子に腰かけているのはもうやめてください。

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