「半分、青い。」の第105話で、離婚を切り出した涼次から「家族が邪魔」と言われた鈴愛が、「死んでくれ」と言ったセリフに対し、賛否両論が飛び交っていました。
脚本を書いた北川悦吏子さんは自身のTwitterで、2人のセリフについて思いを語っています。
私は個人としての「自分」と、母親としての「自分」から見て、2人のそれぞれの気持ちがよくわかる気がして、どっちつかずの気持ちでいました。
ただ、かわいそうなのは花野ちゃんで、これからの花野ちゃんがどんな風に思って生活していくのかを考えると、私の娘と重なって切なくなります。
今日の第106話の放送も踏まえ、鈴愛と涼次のそれぞれの思い、北川先生の思いに触れたいと思います。
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何かを生み出すことは犠牲を伴う
一般的にも言われているし、自分自身でも思うことは、「何かを生み出すということは、何かを犠牲にすること」。
誰しも好きでそうしているわけじゃないし、ましてやそれが家族であれば、家族の苦しみが自分に返って来ることは本人が1番理解していると思います。
今回、北川先生はTwitterで物を創ることは「罪だ」と言っています。
この一年半、私は家族を捨ててたのも同然です。なにも関知しなかった。そうじゃないと書けなかった。こんなハンパな作家の私ですら、そうなんです。友人の脚本家もやはり、別居しました。物を創るって、隣にいる人からしたら、「罪」なんだ、と思っています。そしてその本人も辛い。創るだけでつらい。
— 北川悦吏子 (@halu1224) 2018年8月1日
物を創るのとはちょっと違うのですが、以前親から貧しい人達を助けるために私財を投げうった人がいたけど、その家族が生活もままならないほどの苦労をしたという話を聞いたことがあります。
現代で聖人として称賛される人の中には、やはり陰で苦労している家族がいます。
人の命を助けることと、物を創って人に感動を与えるのとでは全然違うと言われてしまいそうですが、多かれ少なかれ普通の人と違うことをする人は、盲目なほど何かに打ち込まなければならない時があります。
その犠牲を強いるのが、悲しいことにこの世で1番大切な人であることも・・・
涼次のわがままを正当化する気はありませんが、そのわがままを通すのなら、死ななくていいけど死ぬ気でやってくれ、と思います。
涼次が言った「家族が邪魔」
私の回りの、本物のクリエーターたちは、やはり、家族を持つことが出来なかったんです。それは、どうしてか、っていうと、「孤独」で「ひとり」でないと、立ち上がらないものがある、と私なんかは思います。
— 北川悦吏子 (@halu1224) 2018年8月1日
自分の奥さんに向かって「邪魔」だから離婚してくれ、とはどう取り繕っても最低な発言です。
邪魔に思うなら結婚するな、と言いたいし、子供に寂しい思いをさせるくらいなら別れ際に優しくするな、と言いたいです。
今日の第106話で涼次が幸せで満たされてしまうことで、映画が作れなくなることをおば2人に話していました。
その気持ちはなんとなくわかる気がしました。
ハングリー精神と言いますが、何かに飢えていないと底から湧き上がる強い思いで何かを成し遂げることはできないというのと、似たところがある気がします。
私もずっとハングリー精神でここまでやってきました。そういう強い思いがなければ私も今こうして記事を書けないし、今の生活状態に落ち着くことはできなかったと思っています。
その状態の時、正直言って何もかもが「邪魔」ではあります。
でも「邪魔」だけど、決して愛していないわけではありません。
半分、青い。離婚理由に唖然!急すぎる離婚に思うことでも書いたのですが、せめてもっと鈴愛と花野ちゃんを思いやる言葉で離婚を切り出してほしかった。
別れる時はスパッと切った方がいいのかもしれませんが、どうして自分の退路を断つ必要があったのか、鈴愛にきちんと説明をすべきだと思うのです。
明日の第107話では、鈴愛が涼次と向き合って話し合おうとしますが、その時涼次が自分の気持ちをきちんと説明してくれることを願います。
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鈴愛が言った「死んでくれ」
物を創ることに憑かれた人が負う、罪、というのもが、私はあると感じているのです。社会性、とか人間性、ということとは、別のパワーと思って。スズメは、あの時、ユーコに言われたことが初めてわかったのでは。 https://t.co/dpbLD0tTTK
— 北川悦吏子 (@halu1224) 2018年8月1日
もう最初からですが、鈴愛はいつも何でもうかつに発言します。
死ねって言葉は絶対言っちゃいけないと、私も親から言われてきたし、私も娘にいつも注意しています。
朝ドラということを考えれば、当然そんなことを言っていいはずがありません。
併せて「涼ちゃん才能ないよ」とも言っています。
人としての涼次、クリエイターとしての涼次のどちらも殺そうとする言葉です。
でも、言いたくなる鈴愛の気持ちは痛いほどわかります。
自分より、花野ちゃんのことを思っている母親としての鈴愛なら、それくらいのことは言ってしまうでしょう。
本人に向かって言ったことはありませんが、ちっとも働こうとしない元夫に、死ねばいいと何度思ったことか・・・
もう過去のことだし今ではそんなこともすっかり忘れていましたが、子供が生まれたばかりで私が働くこともできないのに、寝てるかテレビ観るかゲームするかしかしない奴だったので、鈴愛のような気持ちだったことも思い出してしまいました。
夫には子供を守るという責任感を持ってほしい。当然世の母親なら思うはずです。
ただ、元夫と涼次とは全然違います。今の涼次を考えれば、どんなことを言っても離婚は回避できないでしょうが、それでも鈴愛には、応援する、支える、と最後に言ってほしいと思ってしまいます。
明日の2人はどのように話し合って、別れを決めるのでしょうか。
北川先生の葛藤
「半分、青い。」完全脱稿致しました!specil thanks to 応援して下さった皆様、友達、家族、関係者、最初にチャンスを下さったNHK若泉久朗様、私が倒れたら助けるよと代打の約束をしてくれた岡田惠和さん(出番はなかったけど)、そして執筆中、二度の入院を支えてくれた慶応病院。反転写真でゴメン! pic.twitter.com/xXmSuzEPlY
— 北川悦吏子 (@halu1224) 2018年7月30日
脚本を書きあげるまで、北川先生は2度も入院されていたことをTwitterで明かしました。
それまでの1年半、自分は家族を捨てたも同然とも呟いています。
そんな精神状態でも、物を創り上げなければいけないというのは、楽しくて夢中なのとは全然違うと思います。
またまたちょっと違うのですが、娘のためにと娘のことを顧みず働いてきたこれまでのことを思い返せば、北川先生がご自身を責める気持ちは痛いほどわかります。
まだ娘が2歳の時、ストーブに両手をついてしまって火傷をしたことがありました。
妹が泣きながら会社に電話してきて、私は慌てて家に帰りました。
それまで気丈にも涙を見せずに痛みをこらえていた娘は、私の姿を見た途端、顔をくしゃくしゃにして泣き出しました。
娘が落ち着くまで傍にいて、私はまた仕事に戻りました。
会社に戻りながら、こんな時に傍に居られない自分、仕事を選ぶしかなかった自分のどこにもぶつけようのない怒りに、泣きながら車を運転していました。
そんな思いを、もしかしたら北川先生もしてきたかもしれません。
でもだからこそ、様々な反響を呼ぶストーリーを創りつづけることができるのだと感じます。
本当に、156本、全26週、民放連ドラの4倍!! 脚本家にとって、最も過酷な仕事、と言われる朝ドラを、私のような身体で書き上げられたのは、奇跡、と思ってます。入退院を繰り返したまま書きました!だから、希望を持ってください。何だってやりようは、あるよ!!
— 北川悦吏子 (@halu1224) 2018年7月30日
最後に
「半分、青い。」は最近の朝ドラの中でも展開早くて毎日楽しみに見ているドラマです。
展開が早いことで1人1人の思いがあまり語られなかったり、突然何年か先の話に飛んでしまうところがありますが、それはそれでその間の時間のことを想像するのも悪くないな、と思っています。
今回は自分が離婚経験者であることもあり、鈴愛や涼次の気持ちをいろいろと考えてしまいましたが、いつもならもっとあっさりとドラマを観ていたと思うので、違った楽しみ方ができています。
これから皆さんお待ちかねの佐藤健くん演じる律くんが再登場です。
私も律くん、大好きです。
運命の2人がどうなっていくか心待ちにしながら、明日の鈴愛&涼次を真剣に観たいと思います。
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