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「睡眠相後退症候群」という自律神経の病気で学校へ通えなくなった娘が通信制高校へ転学して間も無く、うちは大ゲンカになりました。
うちは娘と私の他に、私の母(娘の祖母)と私の弟(娘の叔父)が一緒に暮らしています。
私の弟は通っていた定時制高校をいじめのために中退しています。
娘が中学の頃不登校になった時も、いじめが原因と知ると学校なんか行かなくていいと言ってくれた娘の味方でした。
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ですが、高校生になって具合が悪いからと学校を休み、家で何もしないでゴロゴロしていることにずっとイライラしていたようで、弟はとうとう「お前は家にいても何もしない」と口に出して言ったのです。
それに便乗して母もいろいろ小言を言い始めました。
とにかく母と娘とはソリが合わず、最近は口をきけば言い争いばかりしている状況で、このまま一緒に暮らすのは無理ではないかと、だいぶ以前から私も考えていました。
母は糖尿病で体も思うように動かせず、そんな中妹の子供たちを預かったりと毎日無理をして生活しているので、家で何もせずただゴロゴロしているように見える娘を見ると、口を出さずにはいられないようでした。
そして娘も具合が悪いのにうるさく言う母に反発して、何も言うことを聞かない、手伝わない、何かちょっとでも言われると、反射的に「うるせー」という始末でした。
私も口の利き方を娘に注意しますが、母も母で目の敵のように娘に当たり散らしているので、娘ばかりを責められない、でも言ってもわかってもらえない、という状態がずっと続いていて、もうお互い限界まで来ていました。
そんな時、いつもは何があっても知らん顔して無関心にしている弟が、娘について学校も行かないで家のことも何もしないで、こっちは具合が悪くても熱があろうと仕事に行ってるのに、いい加減腹が立ってると言ったのです。
娘は泣きながら2階の部屋に逃げましたが、私がそこでキレました。
今まで蓄積されていたものを全部吐き出して、もう家を出て行くとまで言うと、そもそもなんで高校を辞めたか自分は知らないと弟は言うのです。
今頃何を言っているんだ、私が言っていると母が、ここで今みんなできちんと話をしなくてはいけないから娘を呼びに行くようにと弟に言いました。
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弟は泣いている娘を呼びに行って連れてきました。
うなだれている娘に弟は、「俺はなんで今までの学校を辞めたか聞いていない。なんで通信制に通うことになったのかきちんと説明して。」と言いました。
娘は消え入るような小さな声で、学校は嫌じゃなかったけど頭が痛くて具合いが悪くてどうしても通えなくなってしまったこと、でも高校は卒業したいから通信制高校へ転学することにしたことを話しました。
弟はそれを聞いて、朝普通に起きられないのか、普通に起きていられないほど具合が悪いのか、と尋ね、娘は時々は調子のいい時もあるけれど、ほとんどが具合いが悪くて起きていることも辛いことを伝えました。
「お前がどの位具合いが悪いかはわかった。」
弟はそう言うと、今まで私たちは誰も聞いたことがなかった思いを娘に話して聞かせました。
1番上の甥っ子には今までいろいろきついことも言ってきたけど、お前は自分にとって格別だから今まで言えないできた。小さい頃(自分が)一番面倒を見たのはお前で、泣いているのをよくあやしていたこと、何でもしてあげたいと思っているけれど、何も話さないから今までそこまで具合が悪かったことも知らなかった。だからこれからは何でも話せ、と。
今まで1番上の甥っ子にはよく話して聞かせていましたが、一緒に暮らしている娘にこんな風に話したのは、これが初めてでした。
この瞬間から、娘は劇的に変わりました。
今まで何をしてもどうやっても仲良くできなかった母(娘の祖母)と、和気あいあいと一緒に洗濯物を片付け始めました。
体調が悪いのでそれ以上のことはできませんでしたが、翌日の朝は8時過ぎには起きてきて、「ものすごく体が軽いよ!!」と喜んでいました。
数日後、娘は私に言いました。
私、思い出した。今までみんなに(大切に)育ててきてもらったこと。ずっと自分はいない方がいい、死んだ方がいいと思っていたけれど、手首を切ったりしたことを後悔してる、と。
それから、娘は昔あったことを事あるごとに思い出して話すようになりました。
ずっと怖いだけの存在だった弟を気遣い、小さなことでも二人で楽しそうに話すようになりました。
今日も月1度通っている病院の日でしたが、「先生に言われて思ったけれど、やっぱりにに(娘の叔父)が話してくれてから具合いが良くなってきてるんだよ。病は気からだね。」と嬉しそうでした。
どんなに近くにいても一緒に暮らしていても、お互いの気持ちは言葉に出さないと伝わらないものです。
これだけ周りの人達から愛されて育ったことを思い出したことで、娘はどんな薬や治療法より、生きる希望を得て快復に向かっています。
そして私もまた、今まで娘を大切にしてもらい、ずっとみんなに助けられてここまで来たことを思い出し、感謝の気持ちを思い出しました。
人を育むのは、愛情。でもそれは日々の会話の中で伝えていかなければ忘れてしまうもの。
今、私達家族は、毎日笑って会話をして暮らしています。