中川翔子中学時代の不登校を語る!未来のためのさなぎタイムとは?

しょこたんこと中川翔子さんが、withnewsで4月から開始した企画「#withyou」で、ご自身の中学時代の不登校について語られました。

読み始めてすぐに娘のことを思い出して、しょこたんは明るいタッチで話されているのに、涙なくして読めませんでした。

しょこたんと娘は共通点も多く、今前向きに明るく生活している娘は、いつかしょこたんのように自分の魅力を最大限発揮して、自分の好きな世界に飛び出すのかな、と私にも希望を与えてくれる内容でした。

今回はしょこたんの中学時代から高校時代までの娘との共通点と、その記事の中で語られている「未来のためのさなぎタイム」について書いてみたいと思います。

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中学時代に不登校になるまで

しょこたんと娘で似ているな、と思ったのは、何もいじめだけではありません。

恥ずかしながらしょこたんのお母さんと私も、似ていました・・・

あまりにも似ていると思ったので、娘にも読むよう勧めたところ、「あまりにも似ていて笑った」と言っていました。

どんな所が似ているのか、まとめてみました。

しょこたんと娘が不登校になった原因の共通点


しょこたんが不登校に至るまでの経過として挙げてるのは下記の点です。

  • 仲が良かったことクラスが別れてしまった
  • グループに入ることに失敗した
  • 絵を描いていることからキモイと言われてから空回りし、吐いてしまうようになった
  • 中3の最後に靴箱がベコベコにされ靴もなくなり、先生からも突き放されてしまった

しょこたんはまず中学に上がった時、仲が良かった子とクラスが別れ階も別になったこと、最初にグループに入ることに失敗したことを挙げています。

娘も小学6年生の時に引っ越したため、中学からは仲の良かった友達と離れ別の学校へ通うようになりました。

また、娘はクラスだけでなく、せっかく入った部活でもグループに属することができず、やがてクラスでいじめられる対象になってしまいました。

人は誰でも今まで仲の良かった人と別れ、知らない人ばかりの場所で生活をしなければならない時が来ます。

それに対応できなかったことは、その子のコミュニケーション能力の問題だけなのでしょうか?

私が学生の頃も、女子はグループを作ってみんなで一緒に行動する傾向がありました。

それはしょこたんの頃も、娘の頃も変わっていないということが改めてわかりました。

そしてそのグループからはぐれないように、友達に思ったことを話すこともできず、みんなに合わせて自分を隠して学校生活を送るのです。

そこには「みんなと同じでなければいけない」という、学校の規律にも問題があるように思えて仕方ありません。

絵を描くことについても同じです。

人と違うことをすることに違和感を感じるからこそ、キモイと言う表現をしたのでしょう。

人は1人として同じ人はいないのに、なぜちょっとでも違うと否定するのか。それも今まで続いてきた日本の教育の問題としか思えません。

そういう教育をしている現場の先生なのだから、一部の生徒、特にみんなと同じでない生徒に対し、適切な対応は取れないでしょう。

こうして学校のどこにも居場所がなくなってしまった子供は、自分の身を守るために不登校になるしか道は残されていないのです。

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しょこたんのお母さんと私の共通点

このしょこたんのお母さんについての記事を読むと違うところも結構ありますが、不登校時の娘への対応は、それこそ笑ってしまうほど似ていました。

学校へ行きたくなくて起きない娘を無理やり布団から引きずり出して制服に着替えさせようとしたり、トイレに立てこもった娘にトイレの外から怒鳴って(借家なので蹴破ることはしませんでした)、娘はトイレの窓から外へ脱走したこともありました。

その当時は娘が学校へ行かないことが不安で、心のどこかに学校さえ行っていれば大丈夫と思い込んでいることもあり、学校へ行かない娘が将来まともに生きていかれないのではないかと、寝ても覚めても思い悩んでいました。

しょこたんのお母さんもシングルマザー、私も離別ですがシングルマザーです。

もし子供のことを一緒に真剣に考えてくれる人がそばにいたら、娘に対する対応も違ったかもしれません。

私は同居する母と弟がいましたが、母は娘が学校に行かないことで私を責めるばかり、弟は無関心に見えるほど何も言いませんでした。
後から本当はみんな心配していたのだと知ることになるのですが、それはずっと後の話です。

その他に似ているところと言えば、私も割と娘には好きなことをさせています。

さすがにお金のかかることはやらせてあげられなかったこともありますが、趣味でやっていることは好きにやればいいと思っています。

ただ、不登校の時には、好きなことに逃げないようにやめるように言っていたこともありましたが・・・

しょこたんと娘を救った世界

娘もしょこたん同様絵を描くのが昔から好きでした。

今ではアクセサリーのデザイナーになりたいという夢を追いかけています。

しょこたんみたいになれるとは思いませんが、そういう世界が好きな人は、みんなと同じでなければいけないという世界はなじめないものなのかもしれません。

しょこたんにも娘にも救ってくれる世界がありました。

それはインターネットの世界です。

しょこたんはブログに好きなことを好きなだけ書くことで、自分と共通の趣味を持つ人たちに出会って救われました。

娘はTwitterで絵を描く人たちや同じアニメを好きな人たちに出会い救われたようでした。

小さな地区の学校という器の中だけにいて一定の価値観だけで測られるのではなく、もっと大きい世界でいろいろな人たちに出会うことで、自分を肯定し生きて行く道を見つけることができるようになったように思います。

私はどうしても大勢の知らない人の世界は危険だと思うところがあり、当時はスマホもTwitterもやめるように注意していました。

でも娘が友達ができたと喜び次第に明るくなっていくのを見ると、そういう世界も悪いことばかりではないのだ、と私も知ることができました。

今では私がブログを書くようになっています。

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高校は通信制を選択

中学は卒業式も出られなかったしょこたんは、始めから通信制高校に通いました。

娘は当初、私立高校を専願で受けて入学し、新たな気持ちで学校生活を送るつもりでした。
でも結局なじめず体調を崩し、まともに通えたのは最初の1ヵ月くらいでした。

なんとか学校に通おうと頑張りましたが、2年に進級できないとわかった3月に通信制高校へ転学しました。

通信制高校へ転学してから、娘は学校に通うというプレッシャーから開放され、日に日に体調が良くなっていきました。

今ではアルバイトもするようになり、9月2日から1週間通信制高校のスクーリングに行くのを楽しみにしています。

こんなに生き生きした娘を見るのは小学校の時以来で、なぜもっと早く通信制高校を選択しなかったのか悔やまれますが、本人はそれも良い経験だったと思っているようです。

しょこたんは通信制高校へ進学し芸能界の道に進み、娘は通信制高校へ転学し、アクセサリーデザイナーになるため、専門学校へ進学しようとしています。

しょこたんみたいに有名にならなくてもいいから、自分の好きなことで自信を持って楽しく生きていってくれればそれでいい、と私は思っています。

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未来のためのさなぎタイムとは?

しょこたんは記事の中で、「人間ってきっと「わ~、幸せ」って思う瞬間を目指して、生まれてくる。長生きしたって3万日しかない寿命。46億年の地球の中で、本当に一瞬でしかない。だったら、悲しんだりする時間、もったいないから、笑顔で燃え尽きられるようにしよう。」と言っています。

「これ、好き」「これ、美味しい」「これ、可愛い」「これ、面白い」と思う、心が少しでもまろやかになれる瞬間を積み重ねることが、未来のためのさなぎタイム=エネルギーチャージ、としょこたんは言います。

悩みながら読んだ本や聞いた音楽、好きだと思える出来事が、いつか未来に咲く花の種になって自分の栄養になって返ってくるというしょこたんの言葉を聞くと、ああ、今まさしく娘はそういう時期にいるのだな、と嬉しく思います。

いろいろ辛い思いをして、それを好きなことだけで埋めかえて、更に自分を好きなことで満たしていくには、人によってはどれほどの時間がかかるかわかりません。

でも、誰にでも幸せになる権利は平等にあるし、確かに好きなことだけして生きていくのは難しいことだけど、1つ嫌なことあったら2つ好きなことしよう、と気持ちを転換することで、とても明るい気持ちになれるし、明日への活力になると信じています。

娘は1つ頑張ったら10好きなことをする勢いですが、勉強も自分でやらなきゃ、と思ってやる時はやっているし、アルバイトへ着ていくシャツに自分でアイロンをかけるようになりました。

さなぎから蝶へ変わる瞬間は誰にでも必ず訪れる。

私はこのまま娘が自分で決めて進んでいく道を応援していこうと思っています。

最後に

今回はしょこたんこと中川翔子さんが語られた中学時代の不登校のことと、未来のためのさなぎタイムについて、自分の娘と照らし合わせながらまとめてみました。

今不登校で苦しんでいる人が私の身近にもいるし、全国にもたくさんいると思います。

そしてそのことに心を痛めている親御さんも多いと思います。

私もその当時は本当に辛かったし、苦しんでいる子供を更に追い詰めるようなこともしてしまいました。

でも、しょこたんみたいな人もいるし、今は娘も元気になって、昔のような明るさを取り戻し毎日を楽しく生きています。

いつまでもずっとこんな状況が続くわけじゃないから、悲嘆しないで少しだけでいいから「いつかはなんとかなるさ」と思ってもらえたらと思います。

当時のことは私もブログで書いていますが、不登校については下記も参照していただければと思います。

2 COMMENTS

ひろ

僕は不登校ではなかったのですが、学校は好きではありませんでした。

今年自分が親になったのをきっかけに学校に行くということはどういうことなんかなあとずっと考えてます。

娘さん、おかあさんが理解してくれるだけでも幸せだなあと思いますよ。

僕は幼稚園の入口でもう行きたくないとごねて親を困らせたことが懐かしいです。

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まるっこ

ひろさん、はじめまして。
お読みいただき、ありがとうございます!

今思い返すと、私もあまり学校は好きではありませんでした。
でも親になるとその当時の気持ちは忘れてしまい、子供のためにと自分のこうあるべきと思う姿を押し付けてしまっていました。

今でも時々普通って何?と娘に聞かれて、答えられなくなります。

私はまだまだ親としてダメだと思うことが多々あるのですが、ひろさんにそう言っていただけて励まされました。

今年お子さんが生まれたんですね。おめでとうございます!
こんなに一生懸命考えてくれるお父さんがいるなら、これからいろいろなことが起こったとしてもきっと乗り越えて行かれると思います。
お子さんの成長、楽しみですね。

コメント、ありがとうございました。

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