中学2年で不登校になった原因 頭痛・起立性調節障害

前回は中学2年で不登校になった原因 挫折といじめで、娘が病気になった主な原因について触れました。中学1年~2年にかけての話です。

2年でクラス替えがあり、いじめの原因である男子ともクラスが別れてやっと前向きに頑張ろうと思っていた頃、その男子がクラスにやってきたことで、新しいクラスでもいじめが始まってしまいました。

スポンサーリンク

2年の始めには、娘は吹奏楽部を辞めました。

吹奏楽部で仲間外れにあっていること、どうしてもトランペットを吹きたいと先生に何度もお願いしたけれど、一人のわがままを聞くわけにはいかないと言われたことを聞き、これ以上続けるのは無理だろうと思いました。

頭痛もどんどん酷くなっていき、とうとう2学期にはほとんど学校に通えなくなりました。

朝起きると頭が痛くてどうしても起きられないと言うのです。

行きつけの内科医院で薬はもらっていたのですが、もう薬を飲んでも効かなくなりました。

このまま高校受験を失敗してしまったらどうしよう・・・そういう不安に私自身が押しつぶされそうになって、何とかしたいと思っていて、それでもできない娘をずいぶん責めて苦しめていました。

同居している私の母もまた、なぜ学校へ行かないのかと、娘を責めていました。

それを庇う時もあったし、私が思っていることと同じことを言われてしまうと、つい黙ってしまう自分がいました。

母親なのに、どうしてあげることが娘のためになるのか、考えても考えてもわからず、毅然としていることができなかった。そんな私を見ている娘もまた、余計に迷ってしまっていただろうと思います。

ある時、娘の左手首に傷を見つけました。

「手を見せて。どうしたの?」と聞いても、娘は隠して「何でもない。ちょっとひっかいただけ。」と言います。

はっきりは見えなかったのでこの時は本当にひっかき傷なのだろうと思いましたが、すぐにまた新しい傷を見つけました。

今度は無理矢理腕を掴んで傷を見ました。その傷は、リストカットの跡でした。

「なんでこんなことしたの!?」私はショックで怒ることしかできませんでした。

娘は「私なんてどうなっても関係ないでしょ」と言い、何も話してくれません。

どんなに聞いても、ただ怒っている私に、理由なんて話せるはずもないですよね。

その内、学校の保健室の先生が手首の包帯を見て状況に気づき、担任の先生から連絡がありました。

先生と三者面談をして話す中で、原因は私であることを聞かされました。

いじめについて話したかったけれど、いつも忙しい、疲れているから、と言って聞いてもらえなかった。それだけじゃなく、具合が悪いのに私からも祖母からも責められ怒られ辛かったことを聞きました。

悪口を言われたけど無視した、程度の話は聞いていましたが、そんなに深刻な状況であることには気付いていませんでした。

軽い感じで話していたので、自分でうまく対処しているんだろうと勝手に思い込んでいました。

心の苦しさが頭痛として表れていたのに、それを理解するどころか回りで責めてどんどん娘を追い詰めていったのです。

また、娘が中学へ進学する直前の3月に、私が転職していたことも娘にとっては不幸でした。

私は社員登用のある会社の契約社員として入社し、正社員になるために必死に働いていました。

契約社員になったことで給料も下がってしまいボーナスもなく、安定して生活するためには、最短で正社員にならなくてはいけなかったのです。

全くの言い訳でしかありませんが、娘の些細な変化に気が付けるほどの精神状態ではありませんでした。ここまで来ると些細な変化ではないのですが、その当時、私は社内での人間関係もあり、自分が精神的に追い詰められてもいました。

その中で娘には冷たくきつく当たることも多かったのは確かです。

先生にはいじめの対処をお願いしました。

先生からスクールカウンセラーを勧められ、娘は一時期カウンセラーを受けるために登校している状況でした。私も一緒に面談を受けたこともありました。

三者面談のすぐ後、私は娘を脳神経外科に連れていきMRIを撮りました。

結果は、異状なし。

精神的なことが原因だと言われました。

スポンサーリンク

その脳神経外科では紹介状をもらわず、今度は頭痛の専門医へかかりました。

そこでの診断は「起立性調節障害」でした。

起立性調節障害(きりつせいちょうせつしょうがい)とは、自律神経失調症の一種、OD(ドイツ名: Orthostatic Dysregulation)と略される事もある。生活リズムが乱れている様に見えるが、自律神経失調症状のひとつと考えられている。「起立や座位で脳血流が減少し、思考力と判断力が低下する」身体の病気である。

-引用-
「起立性調節障害」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より。
最終更新 2018年2月2日 (金) 08:34 UTC
URL: http://ja.wikipedia.org/

お医者さんからは塩分と水分をしっかり取るようにすれば改善されることもあると言われ、コンソメスープを入れた水筒と梅干しをタッパーに入れて学校へ持たせるなどしてみましたが、良くなることはありませんでした。

次に病院へ行った時漢方薬を勧められたのですが、漢方薬は飲みたくないと娘は断りました。娘は2月に溶連菌にかかり、治療のため飲んでいた抗生物質の「オーグメンチン」が原因で血便が出て入院していたので、薬に対して恐怖心があったのです。

精神科に紹介状を出され、しばらく通っていましたが、出された薬が怖くて飲めず、通うのをやめてしまいました。

私が娘を気にかけ、毎日スープを持たせたり、病院へ連れていくために会社を休んだりしていることで、娘は少しだけ落ち着きを取り戻し始めていました。

ですが、それも長くは続かず、私もしばらくすると学校へ行かないことを怒るようになっていき、周りからも責められる状態へ戻っていきました。

そしてまたリストカット・・・

娘を責めたくないのに、いじめで命を落とすくらいなら行かなくていいと思っているのに、高校受験を考える私は焦って同じことを繰り返してしまいました。

こうして中学の後半(2年の2学期~3年)のほとんどを通えず、行きたいと思っていた高校を受験する学力自体もなく、娘は専願で私立高校へ行くことになりました。

中学2年で不登校になってしまった娘の高校受験へ続く

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です