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前回は中学2年で不登校になった原因 頭痛・起立性調節障害で、吹奏楽部を辞め、いじめが原因で頭痛が悪化し、不登校となっていった中学2年~3年にかけての話を書きました。
娘は脳神経外科、頭痛外来とお医者さんに掛かり、起立性調節障害と診断されたものの、治療がうまくいかず一進一退の毎日を送っていました。
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そうこうしている内に、志望校を決定しなくてはいけない時期になってしまいました。
個別教室へは通っていたものの、中学の後半をまともに学校へ通えなかった娘は、とても志望の高校を受験できるだけの学力がありませんでした。
それでも諦めず志望の高校を受験すると頑張っていて、進路相談でも担任の先生にその高校しか受けないと言っていたようです。
滑り止めの高校の見学にも親子で行きましたが、娘は気に入らなかったようで、一応受けるけど行く気はない、とまで言っていました。
いよいよ願書を出す時期になり、娘と私は担任の先生に呼び出されました。
学校へ行くと、担任の先生の他に、娘が学校に行かれる日には必ず行っていた中間教室(様々な事情で教室へ入れなかったり、学校へ通うことのできない生徒を受け入れている教室)の先生も待っていました。
内申点も良くない今の状況では志望の高校へ入ることは難しい、と担任の先生から私立高校の専願を勧められました。
娘の志望する高校は、募集人数も少なくかなり人気の高い高校で、成績も足りませんでしたが、内申が悪いことを考えるととても合格できないことは私もわかっていました。
それでも、挑戦して落ちるなら諦めもつくけれど、受けることもせず諦めるのはずっと後悔し続けるだろうと、あえて娘のしたいようにさせるつもりでした。
担任の先生も中間教室の先生も、今のままだと志望する高校も滑り止めに考えている高校も難しい、とにかく合格できる高校・方法を選択するようにと勧めてきました。
そして専願で受ける高校は学校説明会へ行かないと専願でも合格が難しい、と言われました。もう学校説明会も終わっている時期なので、あと1回開催される学校相談会へ行ってみたらどうか、と。
志望校も滑り止めも落ちるだろうと覚悟はしていたものの、もしここで高校生になれなかったら、というリスクを考えると、それでも娘の好きなようにさせるとは、とても言えませんでした。
娘が順調に高校へ進学して大学受験をする場合、その年は最後のセンター試験の年となります。
センター試験から切り替わってすぐの、対策がきちんとできないような試験を受けるよりは、センター試験を受けさせたい。浪人も留年もさせるわけにはいかない。その気持ちが勝ってしまいました。
とりあえず学校の雰囲気を見てこよう、見てから決めればいいんだから、と娘を説得して学校相談会へ連れて行きました。
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私立ということもあって学校の校舎は比較的きれいで、学食もあることで娘はちょっと気に入った様子。校内を案内してくれた先生(この先生は娘が入学してから本当にお世話になる保健室の先生でした)が優しく対応してくれたことや、飾られている制服(入学したら着ることになる制服)が可愛かったと、娘は専願でその高校を受験することを決めました。
本当は、もう志望する高校を受験するのは無理なんだ、と無理矢理諦めていたのですが・・・
専願として願書を提出、試験は3教科だったこともあり、結構できたと自信ありげな様子でした。
結果は無事合格!!
当日娘は担任の先生に聞いて合格を知っていたものの、高校に貼り出されている合格発表を見に行くんだと、私が仕事を終わるのを待って、家に遊びに来ていた甥っ子も連れて3人で発表を見に行きました。
自分の受験番号を見つけて、そこを写真を撮ってくれと嬉しそうな娘。
近くにいた先生と思わる人にも「おめでとうございます」と声を掛けられ、照れくさそうに「ありがとうございます」と答えていた娘。
一抹の不安はありましたが、学校も変わることで心機一転頑張ろうとしている娘を、できる限り応援していこうと心に決めました。