乳がん全摘手術後の仕事休む期間はどのくらい?私が手術日を決めるまで

2018年8月15日にちびまる子ちゃんの作者さくらももこさんが乳がんのために亡くなったことを知り、いろいろなことを言い訳にして決めきれていなかった手術の日程を、決めることにしました。

乳がんの全摘出手術をしたらどのくらいの期間仕事を休むことになるかわからなかったこともあり、上司に話した時は「今は上に言えない」と言われたまま、一切そのことに触れてもらえずに約3ヵ月が経過していました。

今回は手術の日程を決めるまでの戦い?について書いてみたいと思います。

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会社・上司との戦い

最初に再手術について話した直属の上司はもう信用できなかったので、東京出張に行った9月5日、営業のリーダーに話すことにしました。

私が今の会社に入社した当初から担当していた業務の担当営業で、何かとやりとりも多く、私の部署の上司より立場的には上のため、なんとかしてくれるかも!?という期待がありました。

その営業のリーダーは私の上司の対応に怒り、すぐに部長に話すと言ってくれました。

でも、そこで私は焦りました。

仕事の引き継ぎの都合や自分の都合を考えると、年内ではなく年明けの落ち着いた頃に入院したかったからです。

このままでは今すぐ手術を受けろと言われかねないと思い、慌てて進行しない癌で、病院の医師からも私の都合で日程を決めていいと言われていることを繰り返し言ったのですが、時すでに遅し。

そういう問題じゃない、とすぐ部長に話すと言われ、聞いてもらえませんでした・・・

困ったとは思いましたが、正直ちょっと嬉しかったのは事実です。

私の上司にはただの道具に思われていることをはっきり思い知らされたのに、真剣に心配してもらえたことで、人として認めてもらえていると感じることができたからです。

翌日部長から連絡が来て、火曜日に面談することが決まりました。
(すぐに面談にならなかったのは、私の勤務地が県外のためです。)

面談には部長と直属の上司の他、営業のリーダーもいました。

会社としては手術を受けられる一番早い日程で受けてほしいということ、業務の引き継ぎや人の確保についてはこちらで考えるから心配しなくていい、と言われました。

私はそんなに急がなくて大丈夫だ(と上司にも言ってあった)と(一応)上司をフォローし、それでも部長にはいつどうなるかわからないのであれば早い方がいい、と押し切られました。

9月の終わりから無理やり引き継ぎを始めて、できる所まで引き継ぎすればいい、という話でしたが、業務知識が必要になる仕事のため、その短い期間内でどれだけ引き継ぎができるかと考えたら、呆然となりました。

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病院の先生との調整

できるだけ早く、と言われたので、翌日私は病院へ電話して手術日を決めたいことを伝えました。

電話に出てくれた看護師さんに先生の診察が必要だと言われ、その診察が早くても9月28日になると言われました。

20日ほど猶予をもらったような気持ちになり、正直ホッとしましたが、今まで仕事に追われ資料作成すらまともにできていなかった現実を見ると、何から手を付ければいいのか焦るばかりでした。

直上の上司ですら、どれだけ大変な仕事なのか理解できていないのに、部長に至ってはもっと理解していないため、引き継げと急かされスケジュールを押し付けられたことで、そのための準備で毎日残業が続きました。

体調も崩して風邪を引いてしまい、今では中耳炎になってしまいましたが、結果的にはなんとか私のいない期間を乗り切るだけの引き継ぎは完了しました・・・

話を戻して9月28日。

「10月30日(診察日)までまだ1ヵ月もあるのにどうしたの?手術したいんだって?」

と開口一番先生に言われ、

「会社から早くしろって言われたんですよ・・・私来年が良かったのに」

という世間話かと思うような会話から診察は始まりました。

「こんなに早くするとは思わなかったよ」と、私の性格をよくご存知な先生は驚いたように言うと、「そんなに急がなくて大丈夫なのに」と言いながら手術が受けられる日を調べ始めました。

世の中にはもっと深刻な方もたくさんいらっしゃるので、こんなに明るく聞こえる会話をするのは申し訳ない気分ですが、先生自体が努めて明るく振る舞う方なので、私もいつもそれに引っ張られるように、いろいろな不安も少しだけ軽くなるような気がしています。

「そんなに早くなくていいです」

と私が言うと、先生は、

「いや、早くても11月13日とかになっちゃう。もう少し遅いと次の週とかになるけどどうする?」

というので、少し考えてから、

「じゃあ、13日にします。入院は2週間ですよね?誕生日には帰っていたいので・・・」

と答えました。

11月30日が誕生日なので、その日に入院しているのは、なんとなくイヤでした。

先生の説明によると、乳管が集中している乳頭は残せない、全摘出手術に2時間、再建手術に1時間かかるとのことでした。

胸の筋肉を切って中に生食パック(エキスパンダー)を入れ、その後6~8ヵ月後にシリコンに入れ替えるということでした。

どのくらいで仕事に復帰できるかを尋ねたところ、個人差があってわからないが、大体2~3ヵ月位だと思うけど、形成外科の先生に聞いてみて、と言われました。

2~3ヵ月・・・

帰ってからまた今までのように働くことを考えると、もういっそのこと会社を辞めてしまいたいという衝動に駆られます。

そんな思いを隠して、上司には復帰できるのが2~3ヵ月後になると伝えました。

自分との戦い

どうしたら仕事を最短で引き継げるか、私は考えなくてはいけませんでした。

更に私が手術のために休職をすることが決まった翌週、4月から開始した新しい業務を一緒に担当している人が妊娠していることがわかり、更にその後も引き継ぎが発生することになっていました。

復職しない、という選択肢はもうないと思った時、仕事を引き継ぐ人には本当に申し訳ないのですが、全部投げ出して逃げようかと頭に浮かんできたくらいでした。

でも、この仕事を軌道に乗せるまで、本当に苦労したことを思い返すと、身重の彼女にこれ以上の負担をかけるわけにはいかなかったし、私を信頼してくれているクライアントを裏切るわけにもいきませんでした。

同僚のアドバイスもあり、初めてこの業務を引き継ぐ人が業務知識が全くなくても、それを読めば一定レベルの業務が誰でもこなせる資料を作成し(自己満足かもしれませんが)、更にその資料をブラッシュアップしてその次の人への引き継ぎも短い時間で済むようにしました。

思い通りに進まない資料作成や引き継ぎに何度も挫けそうになりましたが、今やっと余力も出てきて、一時期より早く帰ることもできるようになりました。

ここに至るまで、随分と多くの人に迷惑や負担をかけてしまいました。もうどれだけ感謝しても足りません。

今は私が持っている知識のまとめに入っています。

他にも作らなくてはいけない資料はあるのですが、せめて業務にあたる人が困らないくらいの資料は作っておきたいと思っています。

その他にも私が持っている業務の引き継ぎを並行して行いながら、なんとか引き継ぎは完了する目途がつきました。

産休に入る人の代わりの人も11月1日から入ってくることが決まり、今のところは順調に進んでいます。

最後に

今回は私が乳がんの全摘出手術をする日程を決めるまでのことを書きました。

手術日を決めてから、仕事の忙しさもありましたが、何よりも自分の気持ちとの戦いが多かったように思っています。

やっぱり手術というのは怖いものだし、胸が片方なくなったショックを抱えつつ、また職場へ戻るというのは、考えただけでも結構なストレスだと思いました。

でも私が仕事を抜けることで職場の仲間には大きな負担をかけることになり、それでも「仕事のことは考えずゆっくり治して」と言ってくれる仲間がいるからこそ、中途半端にはしないで入院するその日まで頑張ろうと、逃げ出したい気持ちを抑えてここまで来ました。

私の仕事を引き継ぐことで負担をかけてしまう人たちにも本当に助けていただいたし、これからも負担をかけてしまいます。

私ができることは、引き継いだ人ができる限り困らないように資料を作っておくことと、しっかり治して復帰することです。

外科の先生には復帰は2、3ヵ月位じゃないかと言われたのですが、形成外科の先生によれば、仕事の内容や個人差もあるが、約1ヵ月位で復職できるだろうと言われました。

そのことについてはまた次回、書きたいと思います。

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