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保育園の頃フィギュアスケートをやりたいと言っていた娘は、小学校に上がってからはいろいろなことに興味はあったものの、これといって「やりたい!!」ということはなかったように思います。
保育園の頃の夢については、よろしければ本物の夢に出会って実現する日まで~保育園の頃の夢~をご覧ください。
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4年生の夏頃、幼なじみが入っているということもあり、娘は小学校の金管バンドに入りたいと言い始めました。
お友達が入っているから、ということにちょっと引っかかって、その時はダメだと言いました。
楽器を購入しなくても良かったことを考えると反対することもなかった気がしますが、その時の私は、ちゃんとやりたいという気持ちがないと、途中でやめてしまうという懸念があって反対したのだと思います。
今ならそういうチャンスがあるなら何でもやればいい、と思うのですが・・・年を取ると考えが変わるのかもしれませんね。
4年生の秋、地元のお祭りに金管バンドが出ることになり、友達が出るから応援に行きたいというので、一緒に出掛けました。
お祭りは駅前通りからかなり長い距離を屋台が並んで、駅から少し離れた歩行者天国ではヒップホップなどのダンスを、ざっと見て20以上のチームが競い合っています。
ダンスをしている人ってこんなにいるんだなぁ、もし保育園の頃からダンスをやっていたら、娘も出ていたかもしれないなぁ・・・と想像しながら見ていました。
金管バンドの発表がある特設ステージへはそこからまたちょっと距離があるのですが、地元の野菜などの売店もあり、買い物をしながら向かいました。
金管バンドの演奏は、私にとっては衝撃でした。
迫力もありましたが、ただ上手いなんて表現では失礼なくらい、この演奏を小学生がしているんだ、という驚きを隠せませんでした。
一緒に演奏を聴いていた娘も感動して、「やっぱり金管バンドに入りたい」と言いました。
「いいよ」という私のあっさりとした返事に、娘は驚きながら喜んで友達のところへ報告に行っていました。
実は何より私が指揮をしていた先生に惚れてしまった感じでした。
私よりもずっと年上だと思いますが、その力強い指揮と、子供たちを引っ張っていく指導力、音楽に対する姿勢というか、そういうものを演奏を通して感じました。
同性としてそのエネルギーがすごいと思ったし、この先生に娘を教えてもらいたい、と心底思ったのです。
後から知ったのですが、先生は県でも有名な音楽の先生で、以前に在職していた小学校も大会で金賞を受賞するまでに導いたとのこと。
娘の学校には金管バンドがなかったので、先生が娘の学校に赴任されてから作られた、結成後1、2年のバンドでした。
それでもこれほどの演奏をするなんて・・・先生すごい!!の言葉しか出てきません。
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金管バンドに入って、娘はコルネットを吹くことに決まりました。
5年生の途中までコルネットを吹いていましたが、そこからトランペットを吹くことになりました。
トランペットにかわってから、確かに娘は少し変わりました。
私が記憶にある中で一番印象的だったことは、週末になると家に持って帰ってきて、トランペットをお手入れしていたことです。
時には一緒にお風呂に入っていました、というと湯船につかっている様子が浮かんでしまいますが、お風呂に入りながらトランペットを洗っていた、という感じでしょうか。楽器って洗えるんだ、ということを初めて知りました。
娘は気が付くとトランペットが大好きになっていて、トランペット奏者になりたい、という思いが強くなったようです。
6年生の時には、大会の発表曲のソロパートを吹く候補にあがるところまでいきました。残念ながら選ばれませんでしたが、その時の頑張りは今までで見たことがないほどでした。
結果は全国大会には一歩届かず・・・
でも、何かを成し遂げようと頑張ったことは、これからの娘の力になったはずでした。
6年生の1月、地元の成人式で金管バンドの発表がありました。
成人式のため、当初親は発表を見ることができないことになっていましたが、発表が始まる直前、会場内に入れてもらえることになり、演奏を聴くことができました。
演奏前に代表の数人が、将来の夢をステージから大きな声で発表。
その中に娘も入っていました。
「私は、トランペット奏者になりたいです」
成人の皆さんも「おー!!」と盛り上げてくれました。
生き生きと嬉しそうに大切にトランペットを吹く娘。
卒業アルバムの写真に、トランペットを愛おしそうに抱えて満面の笑顔で写っている娘。
今はそのどの表情も見ることができません。
いつかこの時と同じ、いやそれ以上の気持ちになれるものを見つけてほしい、そう願っています。