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本物の夢に出会って実現する日まで~小学校時代の夢~で書きましたが、娘はトランペットと出会い、いつも活き活きとしていました。
引っ越したことにより今までの友達や知っている人が全くいない中学校へ通うことになった娘は、人見知りながらも新しい環境に慣れようと頑張っていました。
不登校になってしまった中学時代のことについては、自律神経の病気で不登校になってしまった娘②で書きましたので、今回は部活について書きたいと思います。
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トランペット奏者になりたいと言っていた娘は、トランペットが吹きたいので当然ながら吹奏楽部に入りました。
でも中学校は自分が吹きたい楽器を吹くことができるわけではない、ということは、金管バンドでお世話になった先生にも言われていたので、心配はしていました。
そこで娘とした約束は、「トランペットにならなければ、吹奏楽部を辞めること」そしてその場合「トランペットを習わせてあげる」という2つでした。
本当にやりたいことを取り上げられ、代わりのものを与えられたとして、その代わりのものに打ち込める可能性って、一体どのくらいあるでしょうか?
よほどそのものに魅かれる何かがなければ、大抵の人は打ち込めないと思います。
ましてやそれが仕事なら仕方ないと思える大人でもない、まだ中学生の子供です。
私はトランペットでなければ続かないと思いました。
また、理由はそれだけではなく、音大に行くかどうかはともかく、本当にトランペット奏者になりたいのであれば、違う楽器を吹くことに貴重な3年間を使うべきではない、と考えていたからです。
それはきちんと娘にも説明して、約束をしたつもりでした。
楽器を決める際のその学校の吹奏楽部のルールは、新入部員はまずすべての楽器を試してみて、その子に合うと思う楽器を先輩方が決めることでした。
そして運の悪いことに、幼い頃からトランペットを習っている子が1年生の中にいました。
もちろん娘に勝ち目はありませんが、大体どの楽器もたった一人しか選ばれない(人数・楽器にもよりますが)ということはないので、トランペットになれる可能性が絶たれたわけではありません。
この学校の吹奏楽部はほとんどの人が希望の楽器は吹けないよ、と後から先輩のお母さんから聞き、あまりの理不尽さに腹が立ちましたが、そんなことはこの時知らなかったので、とにかくトランペットになれるよう、親子2人で祈るしかありませんでした。
結果は、クラリネットでした。
これは意地悪でもなんでもなく、本当に娘に向いていたのですが、その時は私も娘もそうは思えませんでした。
吹ける楽器があるのに、なぜあえて違う楽器にするのだろう。しかも中学校は自分で楽器を購入しなければなりません。
私は娘にちょっと奮発して少しいいトランペットを購入する予定でした(仮予約もしていました)。
ですが娘は、クラリネットを吹きたいからやらせてほしい、と言ってきました。
吹奏楽部に入った以上、好きな楽器ができないから辞めます、とはとても言えなかったのだろうとは思います。
そしてクラリネットも吹いてみて楽しかったのでしょう。
最初にした約束のことを話し、本当に後悔しないか、やるといった以上は絶対に辞めないということを新たに約束し、吹奏楽部を続けることを許しました。
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1年生は主にマーチングの大会へ出るため、マーチングの練習がメインでした。
楽器よりもまずリズムに合わせての動作を体に叩き込むように練習していました。
部活動参観でその様子を見ていましたが・・・見ているだけでも足がつりそうで、毎日クタクタになって帰ってくるのもよくわかりました。
娘は背が小さいので、列の先頭になってしまうことも多く、歩幅もみんなと合わせるのが大変そうでした。
それでも何とか頑張って、無事マーチングの大会は終了。
結果はともあれ、楽器を吹くのが初めての子もいるのに、みんなで力を合わせて頑張っていた姿には感動しました。
大会が終わった後からだと思います。娘は頭痛のため学校を休みがちになっていきました。
ある時、「みんなが練習をしないで喋ってばかりいる」と言うので、「一人でも練習したらいい」と言うと、「一人でやっているよ」と言っていました。
その時は詳しく話してくれなかったのですが、いつの間にか仲間外れにされていたこと、それでも「大丈夫?」と心配して声をかけてくれた先輩がいたことを、学校に行かれなくなってからようやく話してくれました。
クラリネットを頑張る、部活を辞めない、そう約束したことが娘を追い詰めたかもしれません。
そんな時期にクラスでのいじめもあり、それまで頑張ってきた娘も、心が折れてしまったのだと思います。
2年生になってすぐ、娘は部活を辞めました。そして2年の2学期には、学校にほとんど通うことができなくなりました。
もしトランペットが吹けていたら、状況はもっと違ったかもしれません。トランペットが心の支えになったかもしれないからです。
トランペットを取り上げられた、未だにそう思う気持ちが娘の中にはあるようです。
自分でクラリネットを吹くことを選んだのだから誰のせいでもないよ、と話すのですが、娘もそんなことは十分わかっているのです。
まだもう少し、娘には時間が必要なようです。