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SHOWROOMの代表・前田裕二さんは、秋元康さんに「堀江貴文さん以来の天才」と言われ、それを聞いて実際に会った堀江さんからも「本当だった」と言われるほどの実業家です。
起業家と聞くと裕福な家庭に生まれ育っているイメージがあるのですが、前田さんの生い立ちは壮絶で、人とは思えないほどの努力をし続けてここまで来ている人でした。
そんな前田さんには、強く影響を与えた2人の兄の存在がありました。
今回は前田裕二さんの生い立ちや経歴、前田さんに影響を与えた2人の兄について調べてみました。
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前田裕二の経歴・プロフィール
- 名前 前田 裕二(まえだ ゆうじ)
- 生年月日 1987年6月23日
- 出身地 東京都
- 学歴 早稲田大学政治経済学部 卒業
- 肩書 SHOWROOM株式会社 代表取締役社長
前田さんは早稲田大学政治経済学部を卒業後、外資系証券会社のUBS証券へ入社します。
就職活動ではDeNAでも内定をもらっているのですが、給料の高さ、そして心から盗みたいと思うスキルを持った宇田川宙さんに出会ったことで、UBS証券への入社を決めました。
とにかく自分の成長を渇望していたという前田さんは、UBS証券が自分の望む条件にぴったりだったと言っています。
UBS証券へ入社してから、前田さんはとにかく宇田川さんを完コピしようと喋り方や仕草、ノートの取り方から、使う文房具に至るまですべて真似していたそうです!
宇田川さんは2016年にはみずほ証券にエクイティ本部副本部長を務めた後、2018年9月にSBI証券で執行役員常務となり、2019年6月の株主総会で取締役に専任されています。
その人を完コピすることを考えるなんて、入社当時は22歳だというのに、前田さんは本当に末恐ろしい人です。
更に成果を上げている先輩にその理由を聞いて回るなど、その意欲は底知れません。
前田さんは朝4時半から5時の間には出社し、株式マーケットの開く9時までに実務の下準備をすべて終え、9時からはお客さんに電話をかけまくってコミュニケーションを取ることに時間を使ったそうです。
出社する時間には電車は動いていないので、自転車で通勤。
ある時サドルが盗まれ、付け替えてもまた盗まれると、頭にきて立ち漕ぎしてみたら5分も早く会社に着くことに気がついて、その後の1年間はサドルのない自転車で通勤したと言います。
サドル窃盗犯から時間をプレゼントされたと捉える前田さんのプラス思考、見習いたいと思ってしまいました。
入社の翌年にはアメリカ本社への転勤が決まり、ニューヨークでも入社時からのスタイルを変えず成績トップを取り続け、これ以上上り詰めることはできないと思えるところまでいきました。
後述しますが、あることをきっかけに起業することを決意した前田さんは、就職試験の最終面接から時々メールのやりとりをしていたDeNAの創業者・南場智子さんに連絡を取ります。
この南場さんもすごい方で、ハーバード・ビジネス・スクール(ハーバード大学の経営大学院)を修了すると、ハーバードに入る前に勤めていたマッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社に戻り34歳で日本人女性3人目の役員に就任、その後1999年にDeNAを設立しています。
面接時、南場さんは前田さんに「苦労してきてるでしょ」と言ったそうです。
履歴書からなのか前田さん本人を見たからなのかはわかりませんが、それを一瞬にして見抜いてしまう南場さんに対して、私はすごさより怖さを感じました。
マッキンゼーはコンサルティング会社だったこともあり、南場さんは人を見抜く力が優れているのかもしれません。
前田さんが事業プランを南場さんにプレゼンすると、南場さんに成功する可能性の低さを指摘され、DeNAで事業の立ち上げを勉強してからでもいいのではないか、と勧められます。
そして翌日にはDeNA代表取締役社長の守安功さんとの会食、その後数人の優秀な人材や多くのDeNA関係者に会わせてもらい、
南場さんから
「うちにおいでよ。一緒に世界一を獲ろう。」
と言われたことが決め手となり、前田さんは2013年5月にDeNAへ入社しました。
その11月には仮想ライブ空間「SHOWROOM」を立ち上げると、2015年8月にこの事業をスピンオフしてSHOWROOM株式会社設立となります。
妥協せず努力し続けた前田さんのすごさは、語ろうにも語り尽くせません。
前田さんは本も出しています。
前田さんの魅力とすごさの詰まった本ですので、興味のある方はぜひ読んでみて下さい!
前田さんの本を編集した箕輪厚介さんについても書いています。
前田裕二の生い立ちが壮絶だった!
これまで前田さんの経歴について書きましたが、そこへ至るまでの前田さんの生い立ちは、今までそれなりに苦労もしたし不幸だと思う時があった私でも衝撃を受けました。
その前田さんの生い立ちについてまとめてみました。
8歳で両親を亡くし兄と2人親戚の家へ
前田さんは物心ついた頃には、もう父親がいなかったそうです。
死別したのか離婚なのかはわかりませんでしたが、亡くなったという情報は見つけられなかったので、ご両親は離婚されていたのだと思われます。
追記 前田さんの父親は、前田さんの物心がつく前に亡くなっていたことがわかりました。
東京で生まれ育ち、父は物心がつく前に他界、母は8歳の時に亡くなるなど、苦労も多かった。
引用元:THE SANKEI NEWS
前田さんが小学2年生の夏、8歳の時に母親が亡くなったことで、前田さんは10歳年上の兄としばらく転々とする日々を送りました。
住むところもなく、警察署に泊まらせてもらったこともあったようです。
しばらくして親戚の家に引き取られますが、その家に馴染むことができなかった前田さんは自分に与えられた環境や運命を恨み、お金を稼いで自由になりたいと強く思うようになりました。
生きていくためにストリートミュージシャンになった小学生時代
近所のコンビニにバイトを申し込んでも、小学生が雇ってもらえるはずもありません。
前田さんがどうやってお金を稼ぐか考えていたところ、小学6年生の時親戚の兄にアコースティックギターをもらいました。
このギターを使って弾き語りをすることを思いついた前田さんは、必死にギターを練習して、自分で作詞作曲した曲を演奏しましたが・・・ほとんどの人が立ち止まってくれませんでした。
オリジナル曲のほうが価値が高いからと考え、自分で作詞作曲までするなんて、とても小学6年生が考えつくとは思えません!
でもそれだけ前田さんは辛い経験をして、生きていくことに必死だったのだと強く感じます。
ここで諦めないところも前田さんのすごいところで、人は知っている曲にこそ琴線が揺さぶられるのではないかと仮説を立て、まず当時流行っていたアーティストの曲を始めカバー曲を歌うことにしました。
お客さんの反応を見ながらレパートリーを増やして、徐々に立ち止まってくれる人が増えていったものの、ほとんどお金がもらえないため、今度は葛飾から場所を移して白金へ。
今までの曲ではあまり立ち止まってくれないからと考え、客層を見て昭和の歌謡曲を歌い。
お客さんからのリクエストに答えるからと、次の約束を取り付け。
そうやって濃い常連客を作ることで、半年後には月10万円ほどもらえるようになっていたそうです。
辛ければ辛いほど心が折れてしまうものなのに、それを跳ね返して生きていくための力に変えてしまう前田さんの強さは衝撃的です。
このギターでの弾き語りが前田さんの経営者としての原点であり、SHOWROOMの事業立ち上げに生かされているんですね。
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前田裕二を支えた2人の兄の影響力とは?
前田さんには2人の兄がいます。
と言っても実の兄は育ててくれた10歳年上の兄で、もう1人は前田さんにアコースティックギターをくれた親戚の兄です。
前田さんを支え、影響を与えた2人のお兄さんについてまとめてみました。
育ててくれた10歳年上の兄
兄ちゃんと久々のサシご飯!10個も上なので、兄というより、父のような存在です。僕の名前を付けたのも兄だし、赤ちゃんの頃オムツを替えていたのも兄。ママチャリの後ろに僕を乗せて公園なり遊園地なり毎日連れて行ってくれる兄。この世に無償の愛がある事を確信させてくれた、世界一尊敬する人です。 pic.twitter.com/ONX0CNPQ3t
— 前田 裕二 / Yuji Maeda (@UGMD) 2018年8月5日
前田さんとお兄さんがお母さんを亡くした時前田さんは8歳だったので、お兄さんは18歳ということになります。
18歳といえば高校3年生ですね。
お兄さんは前田さんを養うため進学を諦めています。
今ではいつでも穏やかで怒ることはないのではないかと思う前田さんですが、それでも小学4年生の頃はグレていたそうです。
そんな時もずっと支えてくれたのは、10歳年上のお兄さんでした。
前田さんは中学2年生でギターの弾き語りはやめていました。
中学3年生ではとび職のバイトをしていて、親方から卒業したら社員になるよう言われていたそうです。
とび職の前田さん・・・全く想像がつきません!
でも2人の兄が高校は行っておけと言ってくれたことで、学費が年間30万円ほどと安い都立の深川高校へ進学します。
前田さんはファミレスの「ジョナサン」でバイトをして、学費に充てていたようです。
高校生の娘を持つ母としては、いたたまれない気持ちになります。
高校3年生の時前田さんは、頭のいい大学に行けばお兄さんの自慢になるかな、と大学に進学することを決めます。
子供の頃やんちゃをして泣かせていたお兄さんを喜ばせることがモチベーションになっていた前田さんは、もっと以前から勉強をしてやっと合格できるような早稲田大学政治経済学部を直感で選び合格します。
この時だけでなく、お兄さんはきっと今でも前田さんのことが自慢で仕方ないと思います!
前田さんには今でもお守りのように大切にしているお兄さんの言葉があります。
「お前が後悔しない決断をしろ」
その言葉の通り、いつでも後悔しない道を選んでいるんですね。
ギターをくれた親戚の兄
前田さんはこの親戚のお兄さんからギターを譲り受けたことでストリートミュージシャンでお金を稼ぐことを思い立ち、それが「SHOWROOM」の事業の原案となっています。
前田さんが不幸な生い立ちをバネに変えるきっかけを作ってくれた人、と言って間違いないでしょう。
この親戚のお兄さんとは大学時代にビジュアル系バンドを組んでいたそうです。
前田さんのビジュアル系バンド時代、ちょっと見てみたいです!
UBS証券のニューヨークのアメリカ本社で名実ともにトップを取った時、前田さんは親戚のお兄さんの急逝の知らせを聞き、急に死ぬことがすごく現実的かつ身近なものとして自分に突きつけられた、と言います。
自分がもしかしたら明日にでもいなくなってしまうかもしれない。
前田さんは自分は世の中に代替不可能な価値を残せているのかと考えるようになり、自分の手でゼロから何かを創り出そうと起業を決意します。
そしてDeNAの南場智子さんのもとを訪れるのです。
2度に渡って前田さんの人生の転機を与えた親戚のお兄さんもまた、前田さんに大きな影響を与えた1人なのですね。
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前田裕二さんの生い立ち・経歴と2人の兄についてのまとめ
北海道・大樹町にて、ロケット打ち上げ前夜祭!今回は延期になっちゃったけど、こうやって一筋縄でいかないからこそ、ワクワクすんだよなぁ。「アドベンチャーを創ってその中に皆を巻き込む力」がここ最近、想像以上に恐ろしい価値を持ち始めてる気がする。もっとワクワクしたいし、ワクワクさせたい。 pic.twitter.com/zkhau9QlWJ
— 前田 裕二 / Yuji Maeda (@UGMD) 2019年7月13日
今回は前田裕二さんの生い立ちや経歴、2人のお兄さんについて調べてみました。
8歳で親を亡くしてからの生い立ちも凄まじいものがありますが、それをバネに変えてどこまでも登っていこうとする前田さんの強さに驚きを隠せません。
人は悪いことが起こると何かのせいにしたり、自分がされたことを人に仕返すようなところがあるものです。
でも前田さんは不幸を自分の力に変えて、「努力が報われる社会を作る」という企業理念を掲げて、ある意味人を救おうとしています。
こんな人がいるということを知ることができただけでも、私はラッキーだと感じています。
これからも前田さんの活躍に注目したいと思います!