この記事には広告を含む場合があります。
記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売上の一部が還元されることがあります。
米津玄師さんが亡くなったお祖父さんのことを思って作った曲「Lemon」は、琴線に触れて自然と涙が溢れてくる、米津さんの思いが心に流れ込んでくるような歌です。
私自身は祖父母と疎遠だったこともあり、それだけの愛情がある米津さんの家族は、温かいご家庭なんだろうと思いました。
でも、調べているうちに必ずしもそうではないのではないかもしれない、と思う情報がありました。
今回は米津玄師さんの家族との断絶という噂と、子供時代について調べてみました。
スポンサーリンク
米津玄師さんの家族構成
米津玄師の新ビジュアル公開、撮影は小浪次郎 #米津玄師 https://t.co/UkGzndrwYT pic.twitter.com/xujRxFixjv
— 音楽ナタリー (@natalie_mu) 2018年10月9日
米津さんはご両親とお姉さんの4人家族です。
お父さんはコンピューター関連会社に勤めていて、お母さんは専業主婦ですが、美術系の専門学校を出ていて美術の教員免許を持っているそうです。
米津さんの絵の才能は、お母さんから受け継いでいるんですね。
お姉さんについては情報がなく、詳しいことはわかりませんでした。
家族との断絶というのは本当!?
インターネットで検索すると「家族との断絶」という言葉が出てきます。
米津さんが家族と断絶しているのでしょうか?
それともそういう時期があったのでしょうか?
疎遠だった父親との関係
米津さんは幼少期からほとんど話したことがなく、お父さんのことも勤め先程度しか知らなかったそうです。
お父さんから話しかけられることもなく、自分から話しかけることもなかったようです。
これはあくまでも私の想像ですが、高機能自閉症という病気を抱えている米津さんは、お父さんから見ればどう接してよいかわからない存在だったのかもしれません。
それを病気だからとは思わず、変わった子供だと思っていたから理解ができず、お父さんも辛かったのではないかと思います。
子育てをしていると子供の考えていることがわからず、親としては悩むことも多いのですが、それが病気からくることが原因だった場合、なおさらだと想像できます。
娘が不登校になった時、私も娘とはうまくいかず苦しい時期がありました。
自分と同じだとは思いませんが、そういう親の悩みということもあったのではないでしょうか。
母親と姉との関係
お母さんとお姉さんとは仲が良かったようです。
ですが、2人の小さないさかいが絶えなくなったことで、お母さんとお姉さんとも距離を置くようになったそうです。
女の子は成長してくると、母親は一番近いライバルのような感じになってきます。
そういうこともあり、何かとぶつかってしまっていたのでしょう。
男の人は女同士で揉めることが嫌な傾向があるので、同居している弟は母と私がもめ始めるとすぐに部屋に逃げていきます。
米津さんも少なからずそうだったのではないかと考えられます。
時期が来れば落ち着くことなので、ずっとその状態ではなかったと思いますし、米津さんもご実家に帰ったりしているので、現在はお母さんとお姉さん、それにお父さんとの関係も改善されたのではないかと思います。
スポンサーリンク
危機感と無敵感が存在する子供時代
米津玄師、「HIGHSNOBIETY」日本版で初のファッション誌カバー #米津玄師 https://t.co/tOFAY8EFdz pic.twitter.com/FQBn9l0S2P
— 音楽ナタリー (@natalie_mu) 2018年10月2日
米津さんは子供の頃からずっと普通の人になりたいと願うほど、自分が人と違うという違和感を感じていました。
そういう自分を追求し続けて、今ではアーティストとして若者を中心に絶大な人気を誇るまでになりました。
そんな米津さんの子供時代について、少しまとめてみました。
コミュニケーションのとり方がわからない危機感
米津さんは小・中学生の頃、相手が何を言っているか、何を意図しているかがわからず、笑ってごまかすしかなかったと言っています。
居心地の悪さを感じてはいたものの、これから何十年も社会の中で生きていかなくてはいけないのにこのままではヤバイ、という危機感があったそうです。
人がどういう風に言葉のキャッチボールをしているかをリサーチして勉強していくと、実はみんな思い思いに話しているだけで話が噛み合っていないのに、会話が成立しているという事実に気が付きます。
そして「適当でいい」というのに、何を返せばいいかと自分が過敏になっていたということにも気が付きました。
米津さんはそういう何かに溶け込もうとすることが音楽づくりの1つの指針にある、とインタビューでも答えていますが、米津さんを形成してきた人生そのものが米津さんの音楽なんだな、と感じます。
音楽と絵から得た無敵感
米津玄師、“今年を象徴する曲”「Lemon」200万ダウンロードを突破 https://t.co/zByIWeldFE pic.twitter.com/GIVsM5eO3U
— Billboard JAPAN (@Billboard_JAPAN) 2018年12月21日
米津さんはみんなができて当然のことができなかった自分を落伍者だと思っている反面、音楽を作ったり絵を描くことでなんの根拠もない無敵感みたいなものも持っていたそうです。
そしてその頃から自分のことを天才だと思うようになっていったと言います。
自分の中には「自己肯定感」がほとんどない側面とめちゃくちゃある側面があるとも言っています。
真逆のものが米津さんに共存していることが、米津さんの心のバランスを取ってきたのではないかと思われます。
自分の才能を信じるからこそ、そして自分が完璧じゃないと思うからこそ、とことんまで美しさにこだわった曲作りをしてこれたし、これからも続けていける。
すごいことではあるのですが、その振り幅が大きすぎてなんだか壮絶な人生だな、と思わずにはいられません。
米津さんについては他にも書いていますので、よろしければご覧ください!!
米津玄師の病気は難病!?マルファン症候群や高機能自閉症は本当?まとめ
また一つ歳をとりました。27もよろしくお願いします。いつもありがとう。写真はLemonの撮影のときの🍋 pic.twitter.com/eV7i3AHUMg
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2018年3月9日
今回は米津玄師さんの家族との断絶という噂と、危機感と無敵感が共存し始めた子供時代について調べてみました。
調べたことをまとめると、次の通りです。
- 米津玄師さんは、ご両親と姉の4人家族
- お父さんとは幼少期からほとんど会話がなく、勤め先程度しかお父さんのことは知らなかった
- お母さんとお姉さんとは仲が良かったが、2人に小さないさかいが絶えなくなってから距離を置くようになった
- 家族との断絶という噂はただの噂で、今の関係は改善されていると思われる
- 小学生の頃から人とのコミュニケーションが取れずに危機感を覚えていた
- 音楽と絵によって無敵感を得ることができ、自己肯定感がある面とない面が共存することで米津さんの才能が成り立っていると思われる
自己肯定感については誰しも米津さんのようにある部分とない部分があると思います。
ただ米津さんはそれが人よりも両極端なのではないか、と今回調べていくうちに思うようになりました。
芸術家と呼べる人は波乱万丈な人生を送る方が多い傾向にありますが、米津さんもその1人なんですね。