映画「天気の子」の須賀は現代の大人!これは私たちの物語だった!

映画「天気の子」はその映像の素晴らしさも公開前から好評で、映画館で観るとあまりにも美しくて見入ってしまうほどです。

映画の中に登場するキャラクターもみんな魅力にあふれていてそれぞれに共感するのですが、中でも須賀圭介は現代を生きる大人の代表のような存在だと私は感じています。

今回は映画「天気の子」の須賀圭介についてまとめてみました。

※ネタバレがありますので、ご注意ください!

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「天気の子」の須賀圭介はどんな人物?

「天気の子」に出てくる「須賀圭介」は、小栗旬さんが追加キャストとして発表され、同時に公開された予告動画「予報②」で観た時から絶対人気が出ると思っていました!

見た目はちょっとだらしなくも見えますが、主人公の帆高をうまく使うところや真理をズバリと言うところなどは、カッコいい仕事のできる上司のイメージです。

その須賀圭介の人物像についてまとめました。

※ここからネタバレになります!まだ映画を観ていない方はご注意ください!

奥さんを亡くし娘と離れ離れで暮らす経営者兼ライター

須賀圭介は、(有)K&Aプランニングという小さな編集プロダクションのCEO兼ライターです。

奥さんの明日花と死別し、たった1人の娘・萌花(もか)ちゃんとも離れ離れで暮らしています。

奥さんは事故が原因で亡くなっていて、須賀は奥さんを亡くしたことでおかしくなってしまった時期があり、萌花ちゃんは奥さん側の両親に引き取られました。

この編集プロダクションの「K&Aプランニング」のKは圭介、Aは奥さんの明日花から付けられたのでは!?と思う人も多いようで、今でも奥さんを愛していることを考えると、私もそうだろうと思っています!

須賀は喘息持ちの萌花ちゃんを引き取るためにタバコをやめ、交渉を続けているという状況です。

そんな頃、離島から家出してきた帆高をフェリーで助けたことで、須賀自身も巻き込まれていくことになります。

須賀は現代の大人の象徴のような存在

須賀は至って常識的な大人という立ち位置です。

最愛の奥さんを亡くしたことで、望みが叶えられないという現実に夢が破れ、諦めと一般的な常識に囚われた現代の大人たちの代表だと私は感じました。

だけど萌花ちゃんを取り戻したいという、たった1つ大切なものだけはどうしても守り抜きたいと思っている大人。

子供の頃はいろいろな夢があったけれどそれもいつしか諦めて、今あるこの自分の生活や家族だけは守りたいという私たち親世代に、須賀の姿が重なります。

夢が叶わないことは当たり前だと諦め、常識的にとかこれが普通だからとか、ほぼすべてのことに予防線を張って、でも本当に守っているのは自分の心だったりする、自分を見ているような感覚に陥りました。

そしてそんな自分がたまらなく嫌で、でも自分の力だけではどうしても変えることができず、変えてくれる何かをずっと待っている。

「天気の子」の中の須賀は、そんな大人の象徴に思えてなりません。

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自分に重なる「天気の子」の須賀圭介の心の変化は?



須賀圭介は自分と同じように家出少年である帆高を住み込みで雇うことにします。

この時点では帆高に何かのきっかけを求めたというより、ただ単に見捨てることができなかったのではないかと私は思っています。

帆高の存在が須賀に与えた影響・須賀の心の変化についてまとめてみました。

現実的で理性的に考える現代の大人だった須賀

須賀がとても現実的で理性的に考えるタイプであることは、映画の中でのセリフからもわかります。

「人間歳取るとさあ、大事なものの順番を、入れ替えられなくなるんだよな」

「人柱一人で狂った天気が元に戻るんなら、俺は歓迎だけどね。」

「誰かがなにかの犠牲になって、それで回っていくのが社会ってもんだ。そんな役割を背負っちまう人間は、いつでも必ずいるんだよ。普段は見えてないだけでさ」

このセリフは映画の終盤、住み込みで雇っていた帆高を自分の保身のために解雇し追い出した後、自己嫌悪に陥って酔いつぶれていた時に言っているセリフです。

帆高を追い出したのは、娘の萌花ちゃんを引き取るために社会的評価を落とすことができなかったから。

もともと現実的で理性的だったというより、今までの経験からそう考えるようになった、そう考えるしかなくなった、という方が正しいのかもしれません。

そうするしかない、それが最善だと思って決断するものの、心では良心の呵責があったり迷いや痛みが伴っている。

現代を生きる私たち大人に、当てはまるのではないでしょうか。

須賀の心が溶け出す瞬間

須賀が帆高を追い出した後、警察が再び須賀の事務所へやってきます。

警察に捕まった帆高が、人柱になった陽菜を連れ戻すために警察から脱走したのです。

天気が狂ったことで激しい大雨となり、更には真夏に雪まで降るという状態だった東京も、陽菜が人柱になったことで晴れ渡っていつもの夏の暑さを取り戻していました。

須賀の事務所も水浸しになっています(窓を開けるからいけないと思いますが(^_^;))。

須賀は平泉成さんが演じる刑事・安井から、帆高が陽菜を探すために警察を逃げ出したという話を聞きます。

天気が元に戻ったのは陽菜が人柱になったからだとわかっていながら認めないようにしていた須賀に、それが真実であることが突きつけられたのです。

警察がそんな話を信じるのかと言う須賀に対し、更に安井は言いました。

「ただまあ、彼はまさにいま人生を棒に振っちゃってるわけでして」
「そこまでして会いたい子がいるってのは、私なんかにゃ、なんだか羨ましい気もしますな」

この言葉にとどめを刺されたかのように、安井から「大丈夫ですか?」と聞かれるまで、須賀は自分でも気付かぬ内に涙を流していました。

もう決して会うことができない奥さんと、人柱となってしまった陽菜。

そして会うのが不可能とわかっていてもどうしても会いたい自分と、陽菜に会いたい一心で警察から逃げ出し彼女の元へ向かっている帆高。

常識も諦めも帆高の中にはなくて、ただ会いたいという気持ちだけですべてを投げ捨てて突き進む帆高に、今まで蓋をしてきたそれを願う須賀の心が重なってしまった瞬間なのではないかな、と私は思っています。

須賀の心が解放された瞬間



それでも須賀は帆高を警察に連れ戻すために、陽菜が天気の巫女の力を授かった廃ビルへ向かいます。

この時の須賀は、帆高を犯罪者にしないために向かったのだと思っています。

放っておくこともできたのに、自分と重なって見える帆高を最後の最後は見捨てることができなかったのでしょうね。

すぐに警察に戻るよう説得しますが、以前自分が捨てた銃を見つけると、帆高は発砲します。

陽菜の所に行かせてくれと叫びながら・・・

そこへ警察もやってきて銃口を帆高に向けて取り囲むと、呆然としていた須賀は我に返り必死で誤解だと、今から警察へ行くところだったと警察をなだめようとします。

でも帆高には須賀も警察も、自分を邪魔するものにしか見えていませんでした。

帆高は泣きながら叫びました。

「俺はただ、もう一度あの人に・・・会いたいんだっ!」

この瞬間、須賀の心を縛っていた鎖が砕け散り、心が解放されたのです。

「てめえらが・・・帆高に触んな!」

帆高を取り押さえている警官・高井に飛びかかり、殴りつけて帆高に叫びました。

「帆高、行け!」

 
この後、当然須賀は警察に捕まってしまうのですが、その須賀の表情には1つの後悔もありませんでした。

奥さんが亡くなってから、諦めと大人としての常識の中で生きてきた須賀。

衝動的だったとしても、須賀はやっと自分の心のままに行動できたのだと感じました。

愛する人に必死に会いに行こうとする帆高が、自分自身に思えたのかもしれません。

このシーンは、自分を押し殺して生きている大人という存在へ、大人ということに縛られなくていいという、ある意味エールなのかなと思っています。

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映画「天気の子」の須賀圭介についてのまとめ

今回は映画「天気の子」の須賀圭介についてまとめました。

映画のラストでは、須賀は事務所をマンションの1室に構え、3人も社員を雇っています。

萌花ちゃんとはまだ一緒に暮らしていないようですが、時々は会えているようなので、帆高が言うように一緒に暮らせる日も近いかもしれません。

帆高の拾った子猫のアメも立派に成長していて、須賀に似てきているところでは笑ってしまいました。

私は須賀の事務所が大きくなったのは、きっと晴れ女特集で当たったに違いない、と予想しています(笑)。

「天気の子」には、どんな選択をしてもそれは間違っていないから、自分が本当に大切だと思うことを選べばいい、というメッセージが込められているんだと感じています。

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