天気の子の主題歌「大丈夫」の意味は?リンクする世界観に鳥肌!

2019年7月19日に公開された映画「天気の子」。

新海監督の前作「君の名は。」を超える作品を目指して、試写会なし、世界最速放映など、様々な試みが見事に当たって公開11日で興行収入40億円突破で勢いが止まりません。

そして今回も新海監督とタッグを組むRADWIMPSの主題歌は、なんと5曲もあります。

どの曲も「天気の子」を忠実に再現している曲ばかりなのですが、映画を観終わってから改めて「大丈夫」を聴いた時、映画のシーンが鮮明に思い出されて鳥肌が立ちました。

今回は映画「天気の子」の主題歌「大丈夫」の意味についてまとめてみました。

※ネタバレが含まれますので、まだ観に行っていない方はご注意下さい。

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天気の子の主題歌「大丈夫」が生まれた理由



天気の子」の主題歌「大丈夫」は、実はかなり早い時点から作られていました。

まずは誕生の理由から見ていきたいと思います。

新海監督がRADWIMPSの野田さんへ脚本を送ったことで誕生

新海監督は脚本が出来上がった時、まず最初にRADWIMPSの野田さんへ送っています。

オファーなどではなく、友人として純粋に感想を聞きたい、野田さんの頭の中にどんな音楽が流れてくるか知りたいと思ったからだそうです。

3ヶ月後、野田さんから新海監督に2曲のデモ曲が届きます。

1曲めはRADWIMPSが楽曲を担当すると公表された時に、新海監督も触れていた「愛にできることはまだあるかい」。

そして最近になって明らかになったもう1曲が「大丈夫」です。

愛にできることはまだあるかい」は、「今」を生きる主人公・帆高そのものだと私は感じています。

新海監督もこの曲を聴いてRADWIMPSに音楽をお願いすることを決めているくらい、天気の子の世界観を物語る曲です。

でも、この「大丈夫」については、新海監督は当初ダメ出ししていたというのです!

なぜなのでしょうか!?

映画に使えない曲だった!?

私も新海監督の原作小説のあとがきを読んで知ったのですが、新海監督が「大丈夫」にダメ出しした理由は使いどころが思いつかなかったから

きっと新海監督が頭の中に思い描く映像では、ピッタリ当てはまるシーンがなかったんですね。

実は私、映画はまだ1回しか観ていません。

映画そのものをきちんと感じ取りたいと思ったので、原作小説もサントラもネタバレも、ほとんど情報を入れない状態で観に行きました。

なのでこの「大丈夫」がどこで流れたのか、ラストシーンだっけ?とかなり曖昧です(^_^;)

そのくらい違和感なく、映画の一部となって溶け込んでいた曲でした。

新海監督はずっとラストシーンの演出に悩んでいました。

最後まで作ってみたビデオコンテも周囲の反応はイマイチだったそうで、2ヶ月以上も悩み続けていたそうです。

野田さんにラストシーンの音楽の相談をしている時「大丈夫」のことが話題になったことで、新海監督は改めてこの曲を聴き、衝撃を受けました。

ぜんぶここに書いてあるじゃないか。

新海監督はこの「大丈夫」を元にラストシーンを作り、このラストシーンに「大丈夫」をあてたそうです。

新海監督も初めて聴いた時には気付かないほど、この「大丈夫」に「天気の子」の答えが集約されていたんですね。

こうして「大丈夫」は主題歌として蘇ったのです。

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天気の子の主題歌「大丈夫」の本当の意味は?

新海監督は主題歌「大丈夫」をラストシーンにしましたが、私が映画とこの曲から感じた「大丈夫」の意味は本当はちょっと違うのではないかと思っています。

でも天気の子での「大丈夫」には、いくつもの大丈夫が含まれていると気付きます。

その「大丈夫」の意味を、いろいろな観点から考えてみました。

※ここからネタバレになります。ご注意下さい!

鳥肌が立つほど帆高にリンクした曲

私が映画を観た後初めてCDで聴いた時目の前に広がったのは、ホテルで陽菜がバスローブから腕を抜いて左上半身を帆高に見せたシーンでした。

世界が君の小さな肩に 乗っているのが 僕にだけは見えて 泣き出しそうでいると

左肩から胸にかけて透明に透き通っている陽菜の姿を見た瞬間、天気の巫女である陽菜の運命を残酷なほどはっきりと、帆高はわかってしまったのです。

天気の巫女は天気を元に戻すため、人柱になる運命であることを。

野田さんは絶対にこのシーンを切り取って表現したのだと、私は確信しています。

この曲を聴いてその光景が浮かんできた時、この歌詞と曲に私は全身鳥肌が立ちました。

この時の帆高の気持ちがこの1文だけで全部わかってしまい、更にこのメロディーが一瞬で帆高の気持ちにリンクさせるのです。

同時に、野田さんは天才だ・・・と思わずにはいられませんでした。

このシーンでは歌詞の続きのように「大丈夫?」と陽菜は聞きません。

陽菜は泣いている帆高に「・・・どうして君が泣くかな」と言って笑います。

晴れを祈るほどどんどん体が透明になっていくことを帆高に初めて語り、自分が死んだらいつもの夏に戻る、凪をお願いと頼むのです。

なんでそんなことを 言うんだよ 崩れそうなのは 君なのに

今にも消えてしまいそうな陽菜が気丈に振る舞う姿に帆高は、

君を大丈夫にしたいんじゃない 君にとっての「大丈夫」になりたい

自分が陽菜を守っていくと「俺が働くから!しっかり稼ぐから!」と、その時の精一杯の言葉を叫んだのだと思いました。

高校生の帆高が言える、本当に精一杯の言葉だったのです。

だからラストシーンで言っている帆高の「大丈夫」は、このシーンでの大丈夫と本来の「大丈夫」の曲とは少し違ってくると私は思っています。

ラストシーンでの帆高の「大丈夫」の意味は?

映画で観た時の帆高の「大丈夫」は、先程のシーンとは私には違って感じられました。

保護観察期間を終えた帆高は、高校卒業と同時に大学進学のためやっと東京に戻ります。

すぐに陽菜に会いに行くのかと思いきや、2度目の晴れにする仕事を依頼してくれていた冨美さんに会いに行き、須賀に会いに行き、と寄り道をしてから陽菜の元へ向かいます。

人柱になる運命の陽菜を自分の元に取り戻したもののすぐに離れ離れになり、そこから2年半も経っていることを考えるとすぐに飛んでいけないいじらしさもわかる気がします。

私なら一刻も早く来てほしいですが。

陽菜の家に向かう途中の坂道で、雨の中晴れを祈る時と同じように祈っている陽菜に出会います。

再開を果たした時、この「大丈夫」の曲のように陽菜が「大丈夫?」と帆高に聞きます。

自分も泣いているのに。

それに答えるように「僕たちは、大丈夫だ」と言った帆高の大丈夫は、ちゃんと生きていける、の「大丈夫」に聞こえました。

この曲での「大丈夫」とは違った印象ですが、それでもこの曲に含まれる「大丈夫」の1つだと思います。

新海監督も実は最初にこの曲を聴いた時、私と同じシーンが脳裏に広がったから使えないと思い、その後再び聴いた時に違う「大丈夫」の意味に気が付いたんじゃないか、と推察しています。

それほどこの主題歌「大丈夫」は奥が深い曲なのです。

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大丈夫と思えたラストシーン

天気の巫女が人柱を拒否したため、その時から雨は降り止むことなく降り続いて、東京は水没してしまいました。

天気の子」で描かれる雨の勢いや水没する街は、災害に遭われた方には観るのが辛いシーンばかりだったかもしれません。

でも冨美さんが「元に戻っただけ」と言い、須賀が「世界はどうせもともと狂ってる」と言ったような慰めではなく、私はこの結末自体は妙に納得しています。

それは人の持ち得ない力を持って自然を捻じ曲げることは、そこには必ず代償が伴うものだと思っているからです。

歪みが生じたら、どこか別の所に新たな歪みができてバランスを保つものです。

天気の子」の世界でも陽菜が晴れにすることで追いやられてしまった雨が、大きな水たまりとなって別の空中に現れ、水の塊となって地上に落ちるシーンが描かれています。

また、「天気の子」の世界が狂ったのは陽菜のせいだったのか?という点では、私は元々狂い始めていたのではないかと思っています。

そう考えると、今世界が地球温暖化で気候が著しく変化しているのは紛れもなく人のせいで、もしそれを誰かを犠牲にすることで元に戻そうと考えるのは違うし、誰か特定の人のせいではないのです。

だけど「天気の子」のラストシーンには救いがあります。

そんな一見絶望的な状況であっても、人は電車に似た形の船のような乗り物に乗って移動するなど、水没した東京でも人は知恵を絞って生活しています。

描かれていない被害者も多くいるはずですが、それでも人は逞しく生きていけるということも1つの「大丈夫」というメッセージだと私は感じました。

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新海監督が主題歌「大丈夫」に込めた思い

RADWIMPSの野田さんはこの「大丈夫」を聴いて新海監督がラストシーンを変えたことに、大きな責任を背負ってしまった気持ちになっていたそうです。

エンドロールを違う曲にしたいと4月中旬まで交渉していた、と言います。

最後まで譲らなかった新海監督は、野田さんにこう言いました。

「君の大丈夫になりたい」この言葉を聞いてこの映画を観終わったお客さんはきっと最後に救われると思うんです

「大丈夫」は「天気の子」のための曲で帆高と陽菜の曲であるのに、お客さんたちのためになるのかわからなかった野田さんは、小説を読むうちに理解していったそうです。

すべての人が、皆自分だけの世界を持ち、その世界の中で必死に生きている。
役割を持ち、何かしらの責任を負い、自分というたった一つの命を今日から明日へと日々運んでいく。

そしてすべての人が、そんな自分だけの「世界」をもがきながら生きている。

もがきながら生きている姿を近くで誰かに見てもらえる心強さや安心感、見てくれている、知ってくれている、気にかけてくれる人がいることがどれほど大きな支えか、をすべての人が知っている。

そして誰もがかけがえのない大切な人がもがく姿を見た時、「この人の大丈夫に、自分がなりたい」と願っている。

小説「天気の子」に寄せた解説の中で、野田さんは新海監督がこの主題歌「大丈夫」の意味を教えてくれたと締めくくっています。

「天気の子」のストーリーの中に救いを感じることができるかは、人それぞれの受け取り方があるので何とも言えません。

でもこの主題歌「大丈夫」は、誰が聴いても自分への応援歌であると感じることができるのではないかと思っています。

もしかしたら、新海監督自身がこの「大丈夫」にいろんな意味で救われたのかもしれません。

だからこそ新海監督は、映画「天気の子」を観たすべてのお客さんの救いになってほしいと、この曲をお客さん全員へ贈ったのではないかと思えてなりません。
 
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天気の子の主題歌「大丈夫」についてのまとめ

今回は映画「天気の子」の主題歌「大丈夫」の意味や、「天気の子」の中の「大丈夫」の意味についてまとめてみました。

何回も観ることでもっと違ったメッセージを見つけることができる映画で、RADWIMPSの楽曲はそのメッセージをより印象強く物語っていると感動しています。

主題歌「大丈夫」にもいくつもの「大丈夫」というメッセージがありました。

また近々観に行く予定ですが、今度はどんなメッセージを見つけることができるか、今から楽しみです。

2 COMMENTS

こりぱんだ

世界が陽菜の肩に乗っていると帆高が感じとるのはラストシーンの祈っている陽菜を見た瞬間なのでは?
ちゃんとのそタイミングでボーカルが入りますし。

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まるっこ

こりぱんださん
コメントありがとうございます!

そうなんですよね〜。
普通に考えたらラストシーンだと思うんです。
でも私は「大丈夫」を聴いた時、そのシーンが頭の中に浮かび上がったんです。
同じように思う人はいないんでしょうか・・・?

こんな風に思う人もいるんだ、と思っていただけたら幸いです。
コメントありがとうございました(*^^*)

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