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4月30日いよいよ退院当日になりました。
まだパジャマのままですが、洗顔後とりあえずメイクだけはして、まだ使う物以外はバッグに詰めることにしました。
傷はまだ痛みますが、普通に生活できると思えるくらいには回復していました。
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看護師さんが退院時の説明に来て、次回の診察の予約票を渡してくれました。
最後に担当してくれた看護師さんは、入院初日に担当してくれた看護師さんでした。
手術を無事乗り越えよく頑張ったと、労いの言葉をかけてくれました。
ここに来て、ふと先生の言葉を思い出して不安になって来ました。
「(切除部分は)最小限に取れたようだから」
「(手術の時)出血はほんの少しあったみたいだから」
主治医は先生で、手術説明も先生でしたが、執刀医が違う、ということはあるのでしょうか?
そして、執刀医が違う場合、その説明がないことはありえるのでしょうか?
考え過ぎだと思いますが、手術前はあれだけ力強くこうします、と言い切っていた先生が、術後に曖昧な表現をするというのは非常に不安になります。
しかも今日は先生が24時間勤務後なので、きっとお休みで会えません。
次の診察日は15日。約2週間後です。
それまでの間ずっとモヤモヤして過ごすのは嫌だな、と思っていると、9時前位に研修医の先生が来てくれました。
これはチャンスと思い、手術は主治医の先生がされたんですよね?と確認して、間違いないことを聞けて一安心しました。
手術説明の時のように、もっとはっきりと説明してくれたらよかったのに・・・
私も仕事で〇〇だと思う、〇〇でいいと思うよ、と言っていることを思い出し、指示する時などは言い方に気をつけないといけないな、と思いました。
弟には10時くらいに来てほしいとお願いしていたので、その少し前には全ての物を片付けて着替えを済ませました。
こんな風にのんびりとやらなくてはいけないことに追われず過ごすことは、もう当分ないだろうな、と思うと同時に、帰ったらやりたいこともやらなくてはいけないことも頭の中にたくさん浮かんできました。
弟と娘が病室に迎えに来てくれたので、同室だった女性へ最後の挨拶をすると、ナースステーションで担当の看護師さんを呼び、家族カードを返却し、お礼を言って病棟を出ました。
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久しぶりに帰ってきた家に入ると、ホッとして力が抜けました。
ちょっとゴロっとしましたが、帰ってきてすぐにやろうと決めていることがいくつかありました。
まず手術後に使用するブラジャーをインターネットで検索して、注文。
この休みに読もうと思っていたジャンルの本も、レビューなどを読んで3冊選んで注文しました。
そして、娘の自律神経の病気を今までの食事を見直すことで少しでも良くしよう、と考えていた私は、インターネットで娘の病気に良い食材を調べることにしました。
毎日の病院の食事は野菜・海藻・豆類などが必ず使われていました。
野菜は普段から食べるようにしていましたが、海藻や豆類はあまり食べていないことに気が付きました。
娘はこれまでいろいろな病院にかかっていろいろな治療を試みましたが、頭痛が一向に良くならないこともあり長続きせず、最終的に拒否していた漢方薬を飲んで治そうとしていたのですが、それも体に合わないとやめてしまっていました。
気持ちが前向きになったことで一時的に元気になったのですが、今では以前の朝起きられない状態に戻り、体調が良い日は週に1日あるかないかの日々を送っています。
それでも頑張って昼間外で縄跳びをしたり、通信制高校のレポートをこなしたりとしています。
もっと早く食事について考えれば良かったと、今更後悔しても遅いのはわかっています。
でも社会人として独立するまでに、どうしても治してあげたい。できれば高校を卒業するまでに治したい。
今からでもできることは何でもしなければいけないと思いました。
私はこれから毎日の食事を1品増やすことにしました。
これから会社が始まるまで、体の様子を見ながら自分の決めたことを1つ1つこなしていきたいと思います。