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高校1年生の娘がいます。
昨年5月からまともに学校に通えなくなってしまい、どう頑張っても留年してしまう状況になり、通信制高校へ転学する手続きを始めました。
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娘は自律神経の病気で、「睡眠覚醒リズム障害」の中の「睡眠相後退症候群」という病気だそうです。
睡眠相後退症候群(すいみんそうこうたいしょうこうぐん、Delayed sleep-phase syndrome; DSPS)、または睡眠相後退障害 (delayed sleep-phase disorder) は、慢性的な睡眠のタイミングに関する障害(概日リズム睡眠障害)のひとつである。DSPSの患者は、とても遅い時間に眠りにつく傾向があり、朝起きることが困難である。
-引用-
「睡眠相後退症候群」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より。
最終更新 2017年11月1日 (水) 01:32 UTC
URL: http://ja.wikipedia.org/
娘の病気は高校生になってから突然発症したわけではありません。
でもこの診断を受けるまでに、約2年かかりました。
なかなかよくならないため(結果が出なくて途中で治療をやめてしまっていたところもありますが)、何度も病院を変えてやっとこの診断が出ました。
今の娘の体調を見ていると、この診断にも不安を感じないでもないですが・・・
自律神経の病気は、本人にとって本当に辛く苦しいことだと思います。
すぐに治る病気でもないし、娘のような症状は、心ない人にはやる気がないとか根性がないとかさぼってるとか言われてしまいますから。
そういう私も、何でも「根性で乗り切れ」の考えで育ってきた人間なので、これまでどの位娘のことを責めてきたことか・・・
どうして娘が病気になってしまったのか。今回は、うちの娘がどんな子なのか、というところからお話ししたいと思います。
親バカだと、言われるのを承知で言いますが、うちの娘は本当に手のかからない、いい子でした(過去形でごめんね)。
それこそ生まれた時から手がかからなくて、夜中に起きてもおむつを替えてお乳をあげればすぐに寝てくれ、夜泣きで大変な思いをされるお母さん方の気持ちがわからないほどです。
ちょうど娘が1歳になる月、私は離婚しました。なので娘は父親のことを全く覚えていません。
保育園に行き始めると、お友達みんながお父さんの話をしていただろうに、父親のことを私に聞いたのは小学校2年生くらいの時にただ1度「うちはお父さんいないんだよね」という一言だけでした。
私は正直、この子は只者ではない、と思いました。保育園でみんなが父親のことを話していたら、「どうしてうちにはお父さんがいないの?」と普通は聞くと思うのです。それがたった1度聞いた、というより確認しただけで2度と口にしなかったのですから。
今思うと、それよりもママを悲しませてはいけない、という思いのほうが強い、母親思いな子供だったのかもしれません。
初めて保育園に預けた日、泣きもせず振り返りもせず行ってしまった、私からすると薄情だなと思うところもある娘ですが。
私は離婚してからすぐに職業訓練に通いました。土日祝日が休める事務職に就くためにパソコンスキルが必要だったからです。
そこでたまたま隣り合わせた人が、私と同じ離婚したばかりのシングルマザーだったこともあり、競い合うように励まし合いながら資格を取りました。
その時学んだ簿記が面白くて、職業訓練が終わってからも勉強して日商簿記2級を取り、経理職に就くことができました。
今は子供が未満児の頃から保育園に預けてお母さんが働きに出る時代ですが、私は(なぜか)3歳までは子供を手元で育てたいと昔から思っていて、それができなかったことを今でもずっと後悔しています。
ところが資格を取ってそれを生かした仕事に就いたことで、仕事に対してのやる気スイッチが入ってしまったのです。
子供とできるだけ一緒にいられる仕事に就くために資格を取ったに過ぎなかったのに・・・
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娘は小学校に上がってからもしっかりしていて、私が何も言わなくても宿題を終わらせているし、テストの点数もほとんど100点でした。
6年の時の三者面談で、担任の先生に「(娘は)勉強は心配いらないですよ。」と言われたことで、私はもうすっかり安心しきっていました。
勉強ができただけじゃなく、聞き分けもよく小さないとこの面倒もよく見る、しっかりした優しい子だったからです。
たぶん、きっかけは引っ越しでした。
6年生の途中で学区外へ引っ越すことになり、6年のうちは転校せずこれまでの小学校へ通えたのですが、中学からは知っている人も友達もいない学校へ通学することになりました。
心配がなかったか、と言えば嘘になりますが、子供は順応性が高いし、娘はしっかりしているから大丈夫だろう、と勝手に決めつけていました。
これからだって、友達のいない学校へ進学したり、知らない人だらけの職場に就職したりするのだから、それがちょっと早かっただけだ、と思っていました。
娘にとっては、それが想像以上に大きな出来事だったのかもしれません。