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2019年9月30日から放送されたNHKの朝ドラ「スカーレット」。
戸田恵梨香さん演じるヒロイン・川原喜美子のモデルではないとしながらも、深く取材をして子育てしながら作陶する姿を大きく参考にしているという神山清子さんは、女性陶芸家の道を切り開いた第一人者です。
その神山さんは非常に波乱万丈な人生を歩んできてもいました。
今回は朝ドラ「スカーレット」のヒロイン・川原喜美子の生きる姿のモデルとも言える神山清子さんについて調べてみました。
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朝ドラ「スカーレット」のモデル・神山清子の経歴・プロフィール
#編集日誌 …きょう最終回を迎える朝ドラ #スカーレット。ヒロイン像の参考となった陶芸家・神山清子さんのインタビューを掲載しました。「みんなからの『ありがとう』という言葉をあの子にあげたかった」。息子さんへの思いに胸を突かれました。(鎌)#東京新聞 pic.twitter.com/nDwyjmlMFP
— 東京新聞編集局 (@tokyonewsroom) March 27, 2020
神山清子さんの半生は壮絶と言っても過言ではないほどで、なぜ朝ドラのタイトルが「スカーレット」になったのかわかった気がします。
スカーレットは炎の色とされる緋色のことで、陶芸に欠かせない炎もそうですが、その情熱的な生き方そのものも炎になぞらえることができます。
まずは神山さんの幼少時代から見ていきたいと思います。
神山清子の幼少時代・学生時代
神山さんは1936年8月2日、長崎県佐世保市で生まれました。
父親の仕事の都合で九州や近畿など各地を転々とし、終戦間際の小学3年の時に滋賀県の信楽町(現在の甲賀市)にやって来ます。
懸垂で男の子に負けたことがないというほど、男勝りで負けん気な性格だったそうです。
信楽焼の職人を見て学校に通い、中学生になる頃には自分にも出来ないかな、と学校帰りに毎日職人の仕事を眺めるようになっていました。
絵が得意で手先が器用だったのですが、美術系の大学に進学したいと思っていたものの父親の反対にあって断念し、和洋裁学校へ進学しています。
まだ当時は女性が大学へ進むには大きな壁がありました。
朝ドラ「スカーレット」でも北村一輝さん演じるヒロインの父・川原常治には亭主関白の一面があるといいます。
そんな厳格なお父さんに反対されたら諦めるしかなかったでしょうね。
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神山清子の陶芸家としての経歴
和洋裁学校を卒業すると、神山さんは陶器の絵付け助手として働き始め、その後陶器会社に入社し絵付けの仕事を続けます。
同じく陶芸に携わるご主人と結婚。
出産を機に27歳で自宅を工房にして独立し、本格的に作陶を始めます。
この頃は女性が窯場に入ると「穢(けが)れる」と言われる時代。
なかなか師匠に弟子入りして陶芸を学ぶこともできなかったと思われます。
その状況の中でも誰にも真似できないものを作ってきたという神山さんは、失敗の連続で試行錯誤を繰り返していきます。
そんな神山さんを助けてくれたのは、女性陶芸家の噂を聞いてやってきた陶芸家たちでした。
信楽窯業技術試験場の研修担当が壺の首の形のアドバイスをくれ。
展覧会の審査担当がくれたアドバイス通りに作品を作って出品すると面白いほど入選したそうです。
神山さんは1966年の滋賀県展をはじめ、現代日本陶芸展、朝日陶芸展など数々の展覧会で入選しています。
人のアドバイスを素直に受け入れ、それをすぐに実行できる行動力も神山さんの素晴らしさの1つですね。
私生活では長女の久美子さん、長男の賢一さんと2人の子供に恵まれましたが、2人がまだ小学生の頃ご主人が助手の女性と蒸発し、1人で子供を育てていくことになります。
貧しい暮らしの中、1つの使命を持って陶芸に打ち込む神山さん。
私も同じくシングルマザーではありますが、実家へ戻り、子供を大学へ進学させたいと少しでも給料が多くもらえる職場へと転職を繰り返してきました。
この状況で陶芸を続けていった神山さんの強さ。
そして長女久美子さんを短大へ、長男賢一さんを窯業試験場へ進学させ立派に育て上げた母として、心から尊敬します。
ただ、神山さんの苦難はこのままでは終わりませんでした。
その時代では窯場にすら入れなかった女性に陶芸の道を作った神山さんの功績をまとめながら、そのことについても触れたいと思います。
朝ドラ「スカーレット」のモデル・神山清子の功績
女性陶芸家の道標となった神山さんですが、神山さんの功績はそればかりではありません。
その功績がどんなものか、まとめてみました。
独自の技法で自然釉薬を使った古信楽を復活させた神山清子
神山さんが使命と思い続けてきたのは、古代穴窯を使った信楽自然釉の復活でした。
信楽にあった平安時代のものとされる窯場跡で味わいのある色の小さな陶器の破片に出会い、「こんな色を出したい」と思ったのがきっかけだったそうです。
穴窯は古い窯の形式の1つで、地中に穴を掘って作るもの、斜面を掘って天井を作るものがあります。
また自然釉とは、
窯の中で器物の一部に降灰したものが長時間の高温により溶けてガラス質に変化し釉薬代わりとなる。これを自然釉(灰釉)といい、焼締めの大きな特徴の一つである。
引用元:Wikipedia
ということで、一切釉薬を使用しません。
神山さんは現地の土を持ち帰り、当時の焼き方を再現するために文献を読み込み、この穴窯を自分の手で作ります。
※神山さんが作った寸越窯(ずんごえがま)です。
焼き方からはじまり、窯の中の空気の流れや灰の付き方、作品の位置など研究に研究を重ね、焼成期間を14日、通常ではありえないほどの高温で作品が焼き崩れる寸前まで窯を焚き続け、ようやく独自の技法により信楽自然釉を復活させたのです。
ここまでなんと5年もの歳月がかかりました。
この技法により作り出される独特の「火色」は、神山さんの代名詞となっているそうです。
朝ドラのタイトル「スカーレット」は、この「火色」も表しているのではないか、と思っています。
2002年12月には、その神山さんの半生を描いた本「母さん子守歌うたって–寸越窯・いのちの記録」が出版され、その本を原作とした映画「火火(ひび)」が2005年1月22日に公開されています。
田中裕子さんが神山さんを演じ、神山さんの寸越窯も撮影に使用されているので迫力十分ですよね!
骨髄バンクの立ち上げの第一人者
神山さんの長男・賢一さんは、子供の頃から窯焚きなどを手伝っていました。
高校卒業後は焼き物に携わる人が技術を学ぶ窯業試験場に通い、自然と陶芸家となりました。
女性陶芸家としての道を迷うことなく進んできた神山さんでしたが、またもや悲劇に襲われます。
1990年2月、29歳の時に賢一さんが慢性骨髄性白血病に倒れたのです。
我が子が白血病になるなんてどれほど辛いか、想像することも出来ません・・・
賢一さんを助ける方法は骨髄移植しかありませんでしたが、親族のHLA(ヒト白血球型抗原)は一致しませんでした。
神山さんは賢一さんの型に合うドナーを探そうと、同じ病気の患者さんやご家族の方と交流を深めていき、「骨髄バンク」の設立を目指しました。
活動に必要な費用はファンの方々が展覧会のたびに作品を購入してくれたり、関係機関へ働きかけてくれるなど、多くの方が支えてくれたと言います。
翌年の1991年に「骨髄移植推進財団」が設立され、日本初の骨髄バンクが誕生。
おおよそのHLAが一致する神山さんの妹から骨髄移植を受け一時は快方に向かったものの、賢一さんは骨髄移植推進財団が設立された翌年、息を引き取りました。
自分の息子を救うことはできなかったものの、骨髄バンクができたことで多くの人を救うことができたことを、神山さんはこう振り返ります。
「窯場跡で破片に出合わなければ、陶芸家としての自分はなかった。すでに陶芸家として成功していたから、骨髄バンクの活動が実を結んだ。縁に恵まれていた」
引用元:THE SANKEI NEWS
最愛の息子の死を乗り越え、強く、逞しく生きている神山さん。
現在でも「滋賀骨髄献血の和を広げる会」の代表を務め、骨髄バンクの必要性を訴え続けています。
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朝ドラ「スカーレット」のモデル神山清子のまとめ
今回は2019年後期のNHK朝ドラ「スカーレット」のモデルと言われる神山清子さんについて調べました。
女性も男性同様活躍できる世の中になったのは、神山さんのように立ちはだかる壁に正面から立ち向かい、道を切り開いてくれた女性がいてくれたからこそです。
神山さんは我が子の死に直面しても心折れることなく、今なお陶芸と骨髄バンクの普及活動を続けています。
神山さんの代名詞とされる「火色」のように、朝ドラ「スカーレット」のヒロイン・川原喜美子も激しい情熱を持った人物として、私たちに勇気と希望を与えてくれるでしょう。