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今や誰もが知る売れっ子芸人でお笑い成功者の千原ジュニア。
しかし拠点を関西から東京に移した若手時代は仕事でうまく行かないことも多かったそうです。
そんな千原ジュニアが売れるきっかけになった出来事や番組は一体何なのでしょうか?
今回は千原ジュニアの売れたきっかけやトークセンスを存分に発揮しているすべらない話についてご紹介します!
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千原ジュニアは東京で苦戦?
1996年、22歳で東京に進出した千原ジュニア。
関西ではすでに有名若手芸人の知名度を獲得し、お笑い番組ではMCを務めるほどに活躍していました。
しかし、そんな彼でも東京進出後はお笑い番組やバラエティ番組で大苦戦。
実は関西芸人が東京進出後に苦戦するという話はけっこうあるあるで、関西の番組と東京の番組では少し勝手が違うようです。
「ジャックナイフ」や「吉本の秘密兵器」などの異名を持ち、顔立ちだけでなく言動もかなり尖っていたと言われる千原ジュニア。
実際に、当時は若さもありかなり尖った印象で、関西特有の毒舌は東京では馴染まなかったという意見は多数ありました。
また、東京に進出後の仕事が軌道に乗りかけた2001年に起こったバイクでの大事故。
入院生活や手術、精神的なケアも含め多くの時間を費やしました。
バイク事故直前も有名バラエティ番組の出演が決まっていたといい、多くの仕事をキャンセルせざる終えない状況になりました。
このバイク事故も東京での活躍を妨げた要因の一つだと思います。
当時の東京でもそれなりに知名度はありましたが、現在の「売れている芸人」のイメージからは程遠いのが現実でした。
現在の活躍が当たり前のように感じてしまうほど売れっ子芸人の地位に登り詰めた千原ジュニアですが、やはりここまでくるまでにかなり苦戦したようですね。
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千原ジュニアが売れたきっかけとは?
テレビで活躍できるお笑い芸人は一握り。
一発屋などすぐに消えていく芸人も少なくない中でここまで長い間活躍している千原ジュニアはまさに成功者ですよね。
今回はそんな千原ジュニアが売れたきっかけについて紹介したいと思います。
千原ジュニアが売れるきっかけとなったある変化とは?
実は千原ジュニアが売れたきっかけにはある変化がありました。
千原ジュニアは「あちこちオードリー〜春日の店あいてますよ?〜」(テレビ朝日)に出演した際に、20代前半は数パーセントの人が自分たちの笑いをわかってくれればいいと思っていたと語り、やはり尖っていたことを自覚していました。
しかし先輩芸人・板尾創路の言葉によってお笑いのスタンスが変わったと言います。
板尾は、20代前半当時のジュニアの“テレビの出方”について注意。「地球上のほぼ(全員)お前より年上や。街歩いていても、みんなお前のことを『ジュニアさん』って呼ぶ。志村けんさん見てみ。志村さんは、街歩いてても、みんな『志村』って呼ぶやろ。あれが芸人のあるべき姿や」と注意されたことを明かしていた。
エキサイトニュース
テレビでの印象が尖りすぎていたのか。
しかしこの注意のおかげもあってか、数年後のインタビューでは、「千人いたら、千人笑わせたい」と語っていたというほどの変わりようで、お笑いファンから見ていても次第に落ち着いていってまるくなったという声が聞かれるようになりました。
最近では、歳を重ねたベテランの落ち着きもありますが、当時はやはり先輩芸人の一言が大きな影響を与えていたのかもしれないですね。
千原ジュニアが売れたきっかけはすべらない話?
今夜9時は『人志松本のすべらない話』🎲
— カンテレ (@kantele) July 27, 2019
実力派芸人たちによる“お笑い総合格闘技”開幕🎊
天才講談師・神田松之丞さんが初参戦❗️
千原ジュニアさん、宮川大輔さん、木村祐一さんをはじめ、話芸に秀でた猛者たちが集結✨
オーディションを勝ち上がった小林メロディさんの実力は⁉️#カンテレ pic.twitter.com/LGwFGzIWLu
先輩の助言もあり、東京のバラエティ番組の雰囲気にも徐々に慣れたのか、持ち前のトークセンスを発揮していった千原ジュニア。
そんな彼はこれまで数々の番組に出演してきましたが、大人気番組である「すべらない話」での活躍は千原ジュニアが売れるきっかけになったと言っても過言ではありません。
千原ジュニアはすべらない話の第1回目から出演し、レギュラーとして全35弾すべてに出演しています。
これはMCを務めるダウンタウン・松本人志の他には宮川大輔と千原ジュニアだけで、彼の存在が必要不可欠なことが伺えます。
また、もっともすべらなかった話に与えられる「MVS(Most Valuable すべらない)」を3度受賞しており、持ち前の話術が評価されています。
この番組はまだまだ知名度が低い芸人が出演することでも有名で、数々の若手芸人がすべらない話をきっかけに売れていきました。
第1回の放送は2004年なので当時の千原ジュニアもまだまだ知名度が低い芸人のひとりであり、すべらない話の恩恵を受けたのは間違いありませんね。
また、今ではすべらない話の定番芸人となっている新喜劇座長の小藪一豊は、千原ジュニアが推薦したそうです。
小藪も当時はまだ東京での知名度は低かった芸人ですが、小藪のおもしろさに気づいた千原ジュニアが松本人志に推薦し、出演が決定したそうです。
定期放送されている「すべらない話」は放送されるたびに話題に上がる人気番組ですが、東京の番組で売れるための登竜門的な存在になっているのかもしれません。
もしかしたら千原ジュニア自身も「すべらない話」をきっかけにたくさんの若手芸人が売れて欲しいという思いもあり、今ではチャンスを与える立場に変わっているのかもしれませんね。
過去の「すべらない話」は動画配信サイトのNetflixやAmazonプライムで視聴可能です。
誰が聞いても、何度聞いても面白い“すべらない話”を、松本人志をはじめ、千原ジュニア、宮川大輔、星田英利ら実力派お笑い芸人が披露するフジテレビ系トークバラエティ。すべての話は実話!サイコロの出目に当たるのは?『人志松本のすべらない話』10エピソード配信中。 #ネトフリ pic.twitter.com/tMRLbJkn9e
— Netflix Japan (@NetflixJP) June 10, 2017
みなさんも是非すべらない話での千原ジュニアの活躍や若手芸人の活躍に注目してみてください!
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千原ジュニアについてはこちらも!
千原ジュニアの売れたきっかけやすべらない話についてのまとめ
つ、つ、つ、ついに!!配信開始まであと1日💥💥💥
— 松本人志プレゼンツ「ドキュメンタル」公式 (@DocumentalJP) August 20, 2020
カウントダウンのラストを飾るのは #千原ジュニア さん✨
いよいよ明日配信です⚡お楽しみに🤗❣🎶#ドキュメンタル8 pic.twitter.com/v4Ud0gZ60n
今回は千原ジュニアの東京での苦戦や売れたきっかけ、すべらない話についてご紹介しました。
今では誰もが知る知名度を誇る人気芸人ですが、やはり苦労した若手時代がありましたね。
しかし、先輩芸人の助言やすべらない話をきっかけに売れていった千原ジュニア。
今後もすべらない話やバラエティ番組での彼の活躍に期待しましょう!