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組織診検査の結果で乳がんと確定してから、ふと立ち止まって今までの生き方、これからの生き方をきちんと考えてみようと思い立ちました。
離婚してからこれまで、子供を大学に入れてあげられるようにお金を稼ぐことがずっと目的となっていて、振り返って考えてみる余裕もなかったし、それこそ家庭(というより子供のことですが)を顧みない生き方をしてきました。
本当はどんな人生を歩みたかったのか、そして手術後、自分はどういう人生を歩んでいきたいのか、きちんと決める時期が来たと感じました。
そんな中、なぜ自分は乳がんを告知された時、ショックを受けなかったのだろうと、と不思議に思いました。
前回は、乳がんの手術入院前検査と入院前の説明について書いていますが、
乳がんの手術入院前検査今回は、乳がんの告知を受けてもなぜショックを受けなかったのか、その理由を考えてみました。
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乳がんの告知がショックじゃなかった理由
乳がんと告知された時、私はなぜかちっともショックではありませんでした。
もっと若い頃は乳がんかもしれないと思うことがあれば不安で仕方がなかったのに、実際告知を受けた時は驚くほど落ち着いていて、お医者さんとも冷静に話していることが不思議で仕方ありませんでした。
家に帰って家族に癌だったことを伝えると、家族の方がショックを受けていて、「大丈夫、切れば根治するんだから」とむしろ私が慰めるような感じでした。
どうしてなのか、まずそこから考えました。
腎臓がんでステージ4だった父
思い返すと乳がんという病気を意識し始めたのは、割と早かった方だと思います。20代から乳がんを疑って検査を受けたこともありましたので。
だからいつかは乳がんと言われる日が来るかもしれないと、心のどこかでは覚悟みたいなものがあったのかもしれません。
でもそれだけで落ち着いていられるはずもなく、自分が兄弟で一番上だからいつでもしっかりしていないといけない、という役割があったためでもないと思います。
恐らく影響しているのは父の死だと思いました。
生まれた時から娘の面倒を見ていてくれていた父は、10年ほど前の8月に入った夜、痛みと苦しさで眠れなくなり、あれ程嫌がっていた病院へ自分から行きたいと言ったそうです。
病院へ行く前日の夜、ふと外を見ると、変な人影があってびっくりして飛び上がったことを覚えています。
よくよく見ると父が腰を押さえて車に手をついている姿でした。
居ても立っても居られないほど痛くて息苦しくて、少しでも楽になればと外に出たのでしょう。
翌日母が父を連れて近くの内科医院へ行くと、「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ」と先生に叱られたそうです。
すぐに紹介状を出され、その足で近くの総合病院へ連れて行き、そこで腎臓がんのステージ4であることを聞いたそうです。
よく癌は痛くなったら終わりだとか、風邪が全然治らない時は癌が疑わしいとか聞いていましたが、本当なんだということを知った瞬間でした。
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父が亡くなるまでの2週間
父は以前から腰痛持ちでよく腰を曲げ腰に手を当てていることが多かったので、それはいつもの光景として私たちの目に映っていました。
父もそこまで痛いとは口にしなかったので、またいつものように痛いんだな、と私は思っていました。
ただ、今でも後悔しているのは、いつまでも治らない風邪をそのままにしてしまったことです。
3ヵ月から半年くらいでしょうか、ずっと治らなくて年だからだなんて言っていた私たちは、口には出しませんでしたが、みんなそれぞれ悔やんでいたと思います。
癌がわかってから2週間という早さで、父は逝ってしまいました。
母はお盆だからと入院している父を無理矢理家に連れて帰ってきて、在宅介護にすると言って父を病院へ返しませんでした。
なので父は最期を自宅で迎えることができました。
その日の朝、仕事に出掛ける私に、「気を付けて行けよ」と言った言葉が、私が父から聞いた最後の言葉となりました。
父が息を引き取る時、母はちょうど甥っ子を保育園に迎えに行っていて留守で、娘が父の傍についていました。
喉が渇いたというので、グラスいっぱいに氷を入れて水を飲ませてあげたそうです。
何を見ようかと話しながらテレビのチャンネルを回していると静かになってしまったので、ふと父の方を見ると酸素マスクが外れていて、どんなに呼んでも起きなかった、と後で娘から聞きました。
本当に、何にもしてあげることができなかった。
昔の人は我慢強いと言いますが、ここまで我慢しなくても良かったのにどうして、と今でも思うことがあります。
早期で癌が発見できたらラッキー!!
だから私は自分が乳がんとわかった時、こんなに早い時期にわかって、切ってしまえば根治する状態だということに、ショックを受けるどころかラッキーだとさえ思いました。
実際しこりが見つかった時は見た目にもわかるほど腫れて痛かったのに、今では押すようにして触らないとわからないほど小さくなりました。
先生に聞くと小さくなることも時々はあるようですが、私は癌を教えてもらったと思っています。
もちろん開けてみなければ転移していないとは言い切れないし、乳がん以外にもどこかに癌があることだってないとは言えません。
それでも打つ手が何もない状態ではないのです。
そして身内が癌になった時、辛いのは本人だけじゃないことも十分身をもって知っています。
私はこれからの人生、前向きに本来の自分らしい生き方をしなくてはいけない、そう強く思いました。
次の記事では、いろいろ考えている中で、手術する前にやっておきたいと思い、温泉へ行った時のことを書いています。
乳がんの手術前にどうしても行きたかった温泉手術までのことを書いている覚書のようなものですが、読んでいただけたら嬉しいです。